架空の米作家の生涯描く 10年越しデビュー小説「ジュリアン・バトラーの真実の生涯」刊行 川本直さんに聞く 

2021年11月9日 17時17分
 野心的なたくらみに満ちたデビュー小説が話題を呼んでいる。戦後の米国文学をスキャンダラスに彩った女装作家の評伝、その翻訳という体裁で描かれた『ジュリアン・バトラーの真実の生涯』(河出書房新社)だ。豊富な知見と資料の裏付けで精緻な物語世界を構築し、9月の刊行後、各界の読み手から絶賛の声が相次ぐ。10年がかりで執筆したのは文芸評論家の川本直さん(41)。「フィクションを生かすため、史実を徹底的に固める必要があった。あがき続けた10年。苦しみながらも楽しかった」と達成感を語る。(樋口薫)

10年がかりのデビュー作『ジュリアン・バトラーの真実の生涯』が話題の川本直さん

◆史実と仕掛け 精緻な物語世界

 架空の作家であるジュリアンは1948年、当時の米国では犯罪とされた同性愛を賛美する小説でデビュー。批評家から「猥褻そのもの」「道徳欠如」と強烈なバッシングを受けながらも、挑発的な作品を発表し続けた。本書は、その長年のパートナーで、小説の共作者でもあったジョージによる回想録(という設定)。トルーマン・カポーティやアンディ・ウォーホルら著名な作家や芸術家を巻き込んで、虚実ない交ぜの米国史を織り上げていく。
 ジュリアンの信奉者である訳者「川本直」による序文と長大なあとがき、そして巻末の膨大な参考文献に至るまで、フィクションならではの仕掛けが周到に張り巡らされる。読後、ジュリアンとジョージを実在した作家のように感じる読者も少なくないはずだ。
 「日本では未だ知られざる作家」であるジュリアンの迫真性を補強しているのが、その旧友として登場するゴア・ヴィダルの存在だろう。米国で初めて同性愛を肯定的に描いた作家と目され、代表作『マイラ』(68年)は1年で2000万部以上を売り上げた。しかし現在の日本では邦訳が入手困難、という状況はジュリアンの設定と似通う。
 川本さんは15歳でヴィダルの作品を読み、教養の深さと批評眼の鋭さに感銘を受け、師と仰ぐようになった。死の前年の2011年には「彼を日本に紹介することが自分の使命」と、海外まで押しかける形でインタビューを敢行。その直前、頭に浮かんだのが本書の冒頭部分だった。
 取材の顛末をつづった「ゴア・ヴィダル会見記」で川本さんは文芸誌デビュー。各媒体に評論を発表し、トランスジェンダーの人々を取材したノンフィクション『男の娘たち』も刊行したが、活動の根幹にあったのは本書の執筆だった。「これまでの仕事は小説を書くための寄り道だったとも言える。経験をすべて生かせた」と振り返る。
 大胆なうそをまことしやかに読ませるため、細部の描写は正確を期した。例えば作中で、作家同士が激しいののしり合いを繰り広げるシーンは「実際に作家たちが残した罵詈雑言のコレクションを再編集した」。苦心したのは、作中作の筆者であるジョージの語り口だという。「結末まで書いたところで『いいから言う通りに書け』と、意地の悪いじいさんの声が聞こえてきた。ようやく文体が定まり、一から書き直した」

◆「どんな読み方でもいい 楽しんで」

 できあがったのは、読みのダイバーシティー(多様性)を許容する懐の深い小説だった。作中の「あとがき」で自己分析されるように、同性愛者の視点から描いた戦後の米国の裏面史であり、奔放なジュリアンと寡黙なジョージのラブストーリーでもある。さらには登場する作家たちへの敬愛のこもった批評とも、同性愛者の幸福な生き方を追求した物語とも読める。
 「どんな読み方でもいいので、読者に楽しんでもらうことを心掛けた」と川本さんは強調する。「SF、ミステリー、純文学といったジャンルの『枠』は小説に必要ないと思っている。枠があるとすれば、いい小説と悪い小説だけ。ゲットーに閉じこもるのでなく、一般に向けて開かれた小説を書いていきたい」

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