瀬戸内寂聴さん、焼け跡残る東京で「自分がばかだった」…ロングインタビュー「青春は恋と革命よ」

2021年11月11日 14時59分
 -日本の社会の雰囲気が「戦前と似てきている」と、いろいろなところで話をされています。
 女子大にいた頃はのんきそうだったけれど、世の中がだんだん戦争の雰囲気がしてきて、軍靴の音がそこまで聞こえてきたという感じでした。小説なんかでもいろいろなことが不自由になり、書く場所を奪われる人が出てくる。(戦前プロレタリア作家だった)平林たい子さん(注7)、佐多稲子さん(注8)がそうでした。お2人の話をじかに聞いていますからね。牢屋ろうやにいれられて拷問にあった話も聞いてます。
 18歳で親元を離れて今93歳。こんな元気な私が今年93歳なんてどうしても信じられないのね。70年どころか、93年なんて振り返ってみたらあっという間。みんな、その時、その時で一生懸命生きてきたんですよね。
 政府は民を幸せにしなきゃいけない。そのためには民意を、民の心を聞かなきゃいけないでしょ。聞くことが政治家なのに、現在の政治家、安倍さんたちはまったく聞かないでしょ。(米軍新基地建設が予定されている沖縄県名護市)辺野古だって日本なのよ。それなのに、日本じゃないみたいな扱いをしている。米国との約束なのか、あんなに嫌だって言っているのに「それしか方法がない」と言う。そんなことないじゃないですか。どうして沖縄だけがあんな目に遭わなくてはならないの? 民の心を聞き、少しでもそれに沿ってやるのが政治じゃないですか。自分の立場や所属する政党を守ろうとする。それだけですよ。今の政治家は。
 -戦後の日本は豊かになった。戦争体験のある世代は少なくなり、若い人は戦争を想像することは難しい。それでも、寂聴さんの訴えに呼応するように、安保法案に反対する大学生や高校生をはじめとする若い世代が声を上げ始めています。

安保関連法案について反対を訴える瀬戸内寂聴さん=2015年6月18日、東京・永田町で

 安保法案が衆院で可決される結果は想像していたわよ。それでも反対しなきゃならないと思ったの。いくら言ってもむなしい気もするけれど、それでも反対しなければならないの。歴史の中にはっきり反対した人間がいたということが残るの。そのときは「国賊」だとか言われても、どちらが正しかったかを歴史が証明する。一生懸命、小説を書いてきて分かりました。
 若い人が立ち上がってくれたことは本当に力強いことです。法案は参院でも可決されるかもしれない。もしそうなったとしても力を落とさないでほしい。立ち上がったという事実はとても強い。負けたんじゃない。いくらやってもだめだとは思わないでほしい。闘い方が分かったんだからこの次もやっていこうと思ってほしいわ。運動に参加した人は、その分の経験が残ります。
 若い人たちは行動する中で自分が生きているという実感があると思う。未来は若い人のものです。幸せも不幸も若い人に襲い掛かるんだから。われわれはやがて死んでいく人間だけれども経験したことを言わずにいられない。法案を通した政治家も先に死ぬのよ。残るのはあなたたち。闘ったことはいい経験になると思います。むなしいと思われたら困るのよ。どっかでひっくり返したいね。
 いい戦争はない。絶対にない。聖戦とかね。平時に人を殺したら死刑になるのに、戦争でたくさん殺せば勲章をもらったりする。おかしくないですか。矛盾があるんです。戦争には。
 今、いろんなところから呼ばれます。若い人たちの前で、「青春は恋と革命」と言ったら、みんな「わーっ」と盛り上がりましたよ。若い人もうれしいらしい。それだけでいい。革命は死ぬまでできる。自分の革命をしていけばいい。戦争を知っている世代は伝えていかなくてはならないわね。ぼけてるひまなんかないのよ。

◆2015年6月18日 国会前スピーチ要旨

安保関連法案について反対を訴える瀬戸内寂聴さん=2015年6月18日、東京・永田町で

 瀬戸内寂聴です。満93歳になりました。きょうたくさんの方が集まっていらっしゃったが、私よりお年寄りの方はいらっしゃらないのではないか。去年1年病気をして、ほとんど寝たきりだった。完全に治ったわけではないが、最近のこの状態には寝ていられない。病気で死ぬか、けがをして死ぬか分からないが、どうせ死ぬならばこちらへ来て、みなさんに「このままでは日本はだめだよ、日本はどんどん怖いことになっているぞ」ということを申し上げて死にたいと思った。私はどこにも属していない。ただ自分1人でやってきた。もし私が死んでもあくまでも自己責任だ、そういう気持ちで来た。だから怖いものなしです。何でも言って良いと思う。
 私は1922年、大正11年の生まれだから、戦争の真っただ中に青春を過ごした。前の戦争が実にひどくって大変かということを身にしみて感じている。私は終戦を北京で迎え、負けたと知ったときは殺されると思った。帰ってきたらふるさとの徳島は焼け野原だった。それまでの教育でこの戦争は天皇陛下のため、日本の将来のため、東洋平和のため、と教えられたが、戦争に良い戦争は絶対にない。すべて人殺しです。殺さなければ殺される。それは人間の1番悪いことだ。2度と起こしちゃならない。
 しかし、最近の日本の状況を見ていると、なんだか怖い戦争にどんどん近づいていくような気がいたします。せめて死ぬ前にここへ来てそういう気持ちを訴えたいと思った。どうか、ここに集まった方は私と同じような気持ちだと思うが、その気持ちを他の人たちにも伝えて、特に若い人たちに伝えて、若い人の将来が幸せになるような方向に進んでほしいと思います。

(注1)徳島大空襲 1944年7月、米軍の焼夷(しょうい)弾攻撃によって徳島市街の62%が焦土となり、1001人が亡くなった。
(注2)教育勅語 1890(明治23)年、明治天皇の言葉として発表され、戦前の教育方針の根幹となった。国に危機があったときには力を尽くすことなどを求めている。
(注3)田村俊子(1884~1945) 流行作家。男女間の相克を主題とした。
(注4)岡本かの子(1889~1939) 小説家、歌人、仏教研究家。
(注5)幸徳秋水(1871~1911) 評論家、思想家。非戦運動を展開。1910年、天皇暗殺を企てたとして逮捕され(大逆事件)、翌年処刑された。
(注6)管野須賀子(1881~1911) 社会運動家。幸徳秋水と結婚、離婚。大逆事件で死刑となる。
(注7)平林たい子(1905~1972) 小説家。1937年、国体変革などを目的に人民戦線の結成を呼び掛けたとして大学教授らが大量に検挙された事件で、半年以上勾留された。
(注8)佐多稲子(1904~1998) 作家。

次のページ

関連キーワード


おすすめ情報

社会の新着

記事一覧