<「過労死ゼロ」へ 遺族たちの闘い>(下)労災認定率3割 新基準施行も「道半ば」

2021年11月19日 07時30分

夫を亡くした体験を過労死シンポジウムで訴える寺西笑子さん=大津市内で

 二〇一四年六月二十日、参院本会議。過労自殺で夫の彰さんを亡くした寺西笑子(えみこ)さん(72)=京都市=は、傍聴席で採決を見守った。
 賛成二三九、反対〇。結果が映し出されると、他の遺族と握手し、泣いた。「過労死対策は国の責務」と明記した、日本で初めての法律「過労死等防止対策推進法」(過労死防止法)が成立した瞬間だった。
 京都市の和食チェーンで店長をしていた彰さんがうつ病を発症し、自殺したのは一九九六年。四十九歳だった。一日十二時間を超える長時間労働、過大なノルマと社長からの度重なる叱責(しっせき)が理由、としか思えなかった。
 ただ、当時、仕事を原因とする自殺の労災認定基準はなかった。わらにもすがる思いで、電話相談「過労死110番」に連絡したところ、応対した岩城穣(ゆたか)弁護士(65)が、力強く言ってくれた。「一緒に頑張りませんか」と。
 二年がかりで内部資料や同僚の証言を集め、九九年に労災を申請。半年後、当時の労働省(現厚生労働省)が過労自殺の労災判断指針を出したことも助けとなり、二〇〇一年に労災は認定された。勤務先と当時の社長を相手に起こした民事訴訟も謝罪を引き出し、〇六年、和解に至った。
 十年にも及んだ厳しい闘い。遺族らが各地でつくった家族会に支えられたという。大阪での集まりに出ては励まし合い、裁判などの情報をやりとりした。
 「今度は私が支える番」と、約三百人からなる「全国過労死を考える家族の会」の代表に就いたのは〇八年。「過労死ゼロ」を掲げ、法律制定を目指して動きだした。国会議員へのロビー活動に国連への働き掛け…。集めた署名は五十五万筆にも。過労死防止法は、まさに運動の結晶だ。
 ただ寺西さんが「道半ば」と言うように、近年は心の病気に苦しむ二十〜三十代の若者が目立つ。広告大手電通の新入社員、高橋まつりさん=当時(24)=が六年前、自ら命を絶った一件は記憶に新しい。
 昨年度、脳・心臓疾患の労災申請は七百八十四件、精神疾患は二千五十一件。認定率はともに三割程度だ。一方で、高橋さんの遺族代理人として労災認定を勝ち取った川人(かわひと)博弁護士(72)は「申請自体が氷山の一角」と言う。代表幹事を務める「過労死弁護団全国連絡会議」が国の自殺統計などから試算すると、過労死・過労自殺は年間五千〜一万人に上るからだ。
 今年九月、厚労省は二十年ぶりに脳・心臓疾患の労災認定基準を改正。時間外労働(残業)時間が「過労死ライン」に達しなくても総合的に判断するよう求めた。ただ、過労死ラインの「一カ月でおおむね八十時間」は維持。家族会と弁護団は、残業が月六十五時間に及ぶと脳・心臓疾患のリスクが高まるという世界保健機関(WHO)と国際労働機関(ILO)の指摘を踏まえ、引き下げを訴えたが、認められなかった。
 今月の過労死等防止啓発月間に合わせ、厚労省が全都道府県で開いたシンポジウム。滋賀会場で講演した寺西さんは、こう締めくくった。「命より大切な仕事はありません」。最愛の人を亡くした遺族として、これからも闘い続ける。
 (この連載は河野紀子が担当しました)

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