<竿と筆 文人と釣り歩く>「私の釣魚大全」開高健 

2021年11月20日 06時33分

厳しい冷え込みで朝もやが立つ湖に漬かり、フライフィッシングを楽しむ釣り人=いずれも群馬県片品村の丸沼で

◆ニジマス追って躍る心 山深き湖に魅せられて

 群馬県の山奥、日光白根山の麓に丸沼という湖がある。標高一、四三〇メートルの高原に位置し、周囲は原生林ばかり。この湖に開高健が初めて足を運んだのは一九六九年の三月末だった。
 山肌は雪で覆われ、湖面には薄氷が張っていた。小説家は、後に「毒蛇の岩」と名付けたポイントに入り、覚えたばかりのルアーを投げ続けた。投げても投げても湖面は静まり返るばかり。自身の言葉を借りると「氷雨と黄昏(たそがれ)のなかの偉大な憤怒」で身も震える。
 だが、その瞬間はやってきた。突然の強い引き。格闘の末、とうとう六五センチの剽悍(ひょうかん)な野生のニジマスを釣り上げた。以来、彼はこの湖のとりことなった。
 湖畔にある「丸沼温泉ホテル」(現・環湖荘)が定宿になった。エッセー集「私の釣魚大全」に当時の様子を書いたくだりがある。
 「“仕事をするため”と内心にいい聞かせて原稿用紙とインキ瓶は忘れたことがないけれど、書けたためしがない。ひたすら眠りに眠り、ウグイスの声で眼(め)をさまし、窓にもたれて夕方までぼんやりとしてすごすのである。ときどきボートを漕(こ)ぎだして、ルアーをなげてみたり、フライ(毛針)をひいてみたりする」
 ここには「元気な帳場の小山内君」が登場する。後に支配人を務めた小山内康夫さん(79)。小山内さんは小説家が初めて宿泊したときをよく覚えていた。

開高健も愛した環湖荘の「虹マス風呂」。ニジマスが泳ぐ水槽をながめながら入浴できる

 「湖に面した大きな部屋を用意したら、ここは落ち着かなくてだめだとおっしゃる。それで山しか見えない裏側の小さな部屋(211号室)に案内したら気に入ってくれた。以来、滞在はいつもこの部屋。十五、六回も来て、長いときは二週間も滞在しました」
 気が向くと従業員宿舎に顔を出し、スタッフと一献酌み交わすことも。ジョークの連発で爆笑を誘い、うれしそうだったという。
 「最後の滞在はいつだったか、帰りがけに『また来るから』と帳場に原稿用紙とペンを預けていきました。私には封を切った高級ブランデーをくれました」
 だが開高は食道がんのために八九年に五十八歳で死去。仕事道具は帳場に取り残されたままになった。
 開高が子供の頃に親しんだ釣りを再開したのは、ベトナム戦争を題材にした小説「輝ける闇」の執筆で、身も心も疲れ果てたからだという。同作が出版されたのは六八年。あの六五センチを釣り上げたのは翌年三月のことだ。それから全国、世界を釣り歩いた。アラスカなどを巡ったエッセー集「フィッシュ・オン」、アマゾンに足を延ばした「オーパ!」などは、日本中の冒険好きの心を躍らせた。
 「オーパ!」の取材に同行した元雑誌編集者の菊池治男さん(72)は「開高さんは期待されながら小説の新作が書けない悩みをずっと抱えていた。一方で釣りをするときは童心に戻り、本当に楽しそうだった」。

筆者が釣り上げたニジマス

 さて筆者も、ボートをこいで毒蛇の岩に向かった。作家が好んだタイのことわざ「毒蛇は急がない」に由来するという岩は、沖から眺めると立ち枯れの木が蛇の牙にそっくりだ。
 沖でフライラインを引いていると、がつん、ぷるぷると感触があった。慎重にリールを巻くと、やがて黄葉色に染まった水面を割って、三○センチほどのかわいいニジマスが現れた。
<開高健> (1930〜1989年) 大阪市生まれ。一九五八年に「裸の王様」で芥川賞。六八年に「輝ける闇」で毎日出版文化賞など受賞多数。ベトナム戦争、社会風俗、釣りなどをテーマにしたルポルタージュ文学で一時代を築いた。
 文・坂本充孝/写真・田中健
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