台湾の政治犯を救おうと活動した日本人がいた 独裁政権下で家族に会い支援金も 都内で記録を展示

2021年11月25日 17時00分
 1940年代から80年代まで続いた台湾の独裁政権下で投獄された政治犯たちを救おうと、行動した日本の市民グループがあった。当時、あまり注目されなかった活動が、台湾の外交窓口である台北駐日経済文化代表処の台湾文化センター(東京都港区)で開催中の特別展で紹介されている。各地で民主主義体制を覆す動きがある中、展示を通じて人権の重要性を改めて訴えている。(佐藤大)

台湾の政治犯の釈放を求め、東京都内でハンガーストライキをする「救う会」のメンバーら=1985年7月、手塚登士雄さん提供

◆台湾在住の日本語教師がリストを託され

 市民グループは台湾で日本語教師をしていた三宅清子さんを中心に、77年に東京で結成された「台湾の政治犯を救う会」。
 台湾では49年、国共内戦で中国本土を追われた国民党政権の下、戒厳令が敷かれ、政治活動や言論の自由は厳しく制限された。「白色テロ」と呼ばれる政治犯の逮捕・投獄が相次ぎ、処刑された人もいた。
 60年代から台湾にいた三宅さんは71年初め、友人から「これを預かってほしい」と新聞紙に包んだものを受け取った。
 直後、友人が政治犯として逮捕されたと知り、中を開けると、約250人分の政治犯のリストが入っていた。三宅さんはリストを全てノートに書き写し、知り合いの外交官に東京まで届けてもらうよう頼んだ。
 「自分が足を着けている土地で毎日苦しんでいる人たちがいる。少しでも外に伝えたかった」。リストを基に政治犯の家族らに会い、支援金を手渡した。

◆尾行、拘束…当局からの妨害も

 しかし、三宅さん自身も当局に尾行されるようになった。危険を感じ、幼い娘を抱え、後ろ髪を引かれる思いで76年に帰国した。
 三宅さんは帰国後、救う会を結成。サラリーマンや主婦、大学教員らが集い、政治犯の釈放を求めデモやハンガーストライキを実施し、ニュースレターを発行した。メンバーが支援活動で台湾を訪れた際、拘束されたこともあった。
 メンバーの立場はさまざまだったが「思想信条は関係なく、一人一人の人権の問題としてどこまでもやろう」(三宅さん)と努めた。日本人にとって台湾が観光地化する中で、台湾政治の問題への関心を高めようと訴え続けた。
 台湾の民主化は進み、87年に戒厳令は解除された。92年に全政治犯が釈放されたことを受け、救う会は94年に解散した。

「台湾の政治犯を救う会」に関係する資料を紹介する山崎教授=東京都港区の台北駐日経済文化代表処台湾文化センターで

◆研究者「日台関係の一側面を知って」

 台湾では独裁政権下の違法行為の究明が進み、2018年に「台湾国家人権博物館」が開館した。今回はその特別展という位置付けで「私たちのくらしと人権」と名付けられている。
 特別展を監修した台湾研究者らが、救う会の活動に着目。三宅さんら関係者に話を聞き、活動記録やニュースレターなどを集めて展示している。台湾だけでなく、最近の香港やミャンマーの情勢にも触れ、普遍的な価値である人権についての理解も促している。
 監修した山崎直也帝京大教授は「日台関係の一側面を知ってほしい。人権問題は現在の問題でもある。若い人たちにも考えてもらいたい」と願う。
 特別展は入場無料で、30日まで。

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