パラ選手も華やかに引退し次へ 元日本代表主将が12月24日にブラインドサッカー初の「引退試合」

2021年11月29日 06時00分 会員限定

毎週末、横浜市から長野県に通い、松本山雅B.F.Cの監督を務める落合啓士さん

 国内のブラインドサッカー(ブラサカ)の草創期を支えた元日本代表主将、落合啓士ひろしさん(44)=横浜市=が12月24日、横浜武道館(横浜市中区)で、ブラサカでは例のない「引退試合」を開く。新型コロナウイルス禍の中で開催された東京パラリンピックが無観客となったことから「ブラサカの魅力を生で感じてもらえる機会をつくりたい」と企画した。パラスポーツ選手も華やかに引退して次のステージに進む姿を後進に示し「夢を見せたい」と願う。(神谷円香)

◆幼い頃のヒーローは「キャプテン翼」の主人公

 落合さんは昨年3月に一線を退き、現在は長野県のブラインドサッカーチーム「松本山雅B.F.C」の監督を務める。目の病気で、10歳ごろから視力が落ち始めた。特別支援学校への転校を勧められたが、障害を認めたくないと拒み、中学、高校時代は荒れた。だが、18歳で視力を失うと、現実を受け入れざるを得ず、横浜市の特別支援学校へ編入。視覚障害者スポーツと出合った。
 ゴールボールでパラリンピック出場を目指したが、アテネ大会出場を逃した2003年、ブラインドサッカーに転向。同年11月、日本代表に選ばれ、初めてピッチで国歌を聞き、喜びで震えた。幼い頃のヒーローはサッカー漫画「キャプテン翼」の主人公。競技の形は違っても憧れていたサッカー日本代表になり、「見えなくなっても良かった」と、障害を肯定できた瞬間だった。

2019年7月、日本選手権の3位決定戦でプレーする落合啓士さん(手前の黄色いユニホーム)=東京都調布市のアミノバイタルフィールドで(神谷円香撮影)

◆草創期を牽引、地元・横浜でチーム立ち上げも

 以後、代表主将を務めるなど、10年以上にわたって日本のブラインドサッカーの草創期を牽引けんいん。03年に国内初の全国大会が開かれた際、参加は4チームだったが、19年の日本選手権には史上最多の22チームが出場するなど競技の裾野が広がった。自身も10年に地元でチーム「ブエンカンビオ横浜」を立ち上げ、盛り上げてきた。
 17年9月を最後に代表から遠ざかり、開催国枠で初出場となった東京パラリンピックの代表入りがかなわず、引退を決意。次の挑戦の場として、強豪チームが首都圏に集まる現状を踏まえ、あえて松本山雅で指導者の道を選んだ。「地方のチームも強くなって代表争いが激しくなれば日本が強くなる。ブラサカに恩返しができる」

◆「見えなくてもやりたいことできる」

 引退試合では、プレーを通じて感謝を伝え「見えなくてもやりたいことができると可能性を示したい」と落合さんは話す。当日は午後4時からブラサカ体験会や特別イベントも計画。共感したJリーガーらも協力を申し出ている。12月12日まで、300万円を目標にクラウドファンディング(CF)で開催資金を募っている。3500円の支援で観戦チケット1枚が付く。詳細は「落合啓士 引退試合」で検索。

 ブラインドサッカー 音の出るボールを使い、仲間の声や相手の気配を頼りにゴールを目指す。コートの広さはフットサルと同じ。1チーム5人で、フィールドプレーヤー4人はアイマスクを着け、ゴールキーパーは視覚障害のない人か弱視者が務める。相手チームのゴール裏から声で指示するコーラーもいる。1980年代から欧州や南米で盛んになり、国内で本格的に始まったのは2001年。04年アテネ大会からパラリンピック競技に採用された。国内では4つの地域リーグがあり、21年シーズンは31チームが加盟している。


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