<日米開戦80年 戦禍の記憶>中国侵略、孤立深め

2021年12月7日 07時10分

1941年12月7日(現地時間)、日本海軍航空隊の真珠湾攻撃で炎上する米戦艦アリゾナ=ロイター・共同

 日本が米ハワイ・オアフ島の真珠湾を奇襲し、米国と太平洋戦争の戦端を開いてから八日で八十年を迎える。そこへ至る道のりを振り返る。

◆開戦前夜 1931~41年

 一九三一(昭和六)年、日本が旧満州(現中国東北部)で起こした満州事変を契機に、日本は中国大陸への侵略を本格化。三二年に傀儡(かいらい)国家「満州国」を建国するが国際社会は認めず、日本は三三年に国際連盟を脱退し、孤立の度合いを深めた。
 三七年に日中戦争が始まると、中国を支援する米国との関係は悪化。四〇年一月に日米通商航海条約が失効し、両国は無条約状態に陥った。
 事態打開のため四一年に入ると日米交渉が始まるが難航。中国からの撤兵や日独伊三国同盟をめぐる隔たりは大きかった。七月に日本軍が南部仏領インドシナ(現在のベトナム南部)に進駐すると、八月に米国は経済制裁として石油輸出を全面禁止した。
 石油を米国に頼る日本には大打撃だった。対米開戦やむなしとの空気が醸成され、真珠湾を奇襲して米太平洋艦隊に打撃を与えて戦意をそぎ、有利に戦いを進める作戦を決断する。発案は山本五十六連合艦隊司令長官とされる。
 そして十一月二十六日、空母六隻を中心に艦船三十一隻で編成した連合艦隊機動部隊が択捉(えとろふ)島の単冠(ひとかっぷ)湾から出発した。

◆開戦 1941年12月8日

 日本時間十二月八日午前三時二十五分(現地時間七日午前七時五十五分)ごろ、ハワイ諸島北方約四百キロに到達した艦隊から、第一次攻撃隊の百八十三機が発進。その一時間後には第二次攻撃隊の百六十七機が後を追った。
 日曜朝に不意を突かれた米軍は大混乱に陥り、戦艦四隻を含む六隻が沈没、航空機百八十八機が破壊された。日本軍は未帰還機が二十九機あり、特殊潜航艇五隻が沈没、約六十人が戦死した。
 大成功と思えたが、米艦隊の空母は不在で決定的打撃には至らなかった。在ワシントン日本大使館の不手際で交渉打ち切りの最後通告が攻撃後となり「だまし討ち」と米国民の戦意をあおる結果も招いた。また、実際には陸軍による英領マレー半島上陸の方が真珠湾攻撃より数時間早かった。
 太平洋戦争はアジアの植民地解放を目指した戦いだったとの主張もあるが、政府が四三年五月に決めた「大東亜政略指導大綱」は、石油産出地帯である現在のマレーシアとインドネシアを日本領土にすると明記。戦争の主目的は資源確保だった。

◆戦争回避は可能だったのか?

<元防衛大学校准教授で軍事研究家の関口高史氏の話> 日本が米国の主張を受け入れるかそれとも戦争するかについて、それぞれのメリットとデメリットを認識できたかだ。当時の日本は国家として戦争へ全精力を注ぐように形を変えており、止めることは難しかった。
 文・小松田健一
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