日米開戦から80年

2021年12月7日 07時45分
 一九四一年十二月八日。日本軍がマレー半島に侵攻、米ハワイの真珠湾で米軍艦船を攻撃し、太平洋戦争が始まった。圧倒的な国力差があった日米の開戦から八十年。あの無謀な戦争から私たちが学ぶべき教訓は。

◆今、同じ空気を感じる ノンフィクション作家・澤地久枝さん

 開戦当時、満州(今の中国東北部)の吉林にいました。十一歳、国民学校の五年生です。その日は朝起きてすぐにラジオの臨時放送があって、開戦を知りました。私は精神的に早熟だったと思いますが、どう考えたらいいか分からなかった。実は米国のことも英国のこともよく知らなかったのです。
 戦争はそれから四年続くわけですが、当時の私は本当にばかな軍国少女でした。この戦争に勝つと素直に信じていた。昭和十九(一九四四)年、特攻に行く若者たちの最後の言葉がラジオで放送されました。ドラマだったはずなのに、実際に死んでいった若者の肉声だと信じてしまった。皆が死んでいくなら自分も死ななければならないと思い込むようになりました。
 死ぬためには飛行機に乗るしかない、予科練(海軍飛行予科練習生)に行きたいと思ったんです。予科練の検査を通るために体を軟らかくする体操までしていましたよ。もちろん海軍は女を取らないわけで、同じ思いの友人と「残念だ」といつも話していました。
 やがて兵器などの材料用に金属の回収が始まり、街頭の赤い郵便ポストも消えました。母が「ポストまで持って行くようじゃ、この戦争は負けね」と言ったことがあります。「反戦主義者」か「非国民」か、そんな言葉でなじりましたよ。母は何も言わず黙った。
 私のように、よく考えない、でも熱中する女の子は国家には都合のいい人間だったでしょうね。戦場を知らない、空襲などの攻撃も受けたことのない思春期の少女の夢物語は、敗戦であっさり消えました。
 つくづくばかな子でしたね。本当に恥ずかしい。でも、それがなければ今の私もないんです。ばかなことを言ったり、したりしたことの責任を問う人は誰もいませんが、私はあの時の自分を許せない。間違いから逃げまいと思って生きてきた。それが戦争に関して調べ、書いてきた理由です。
 当時を知らない人たちは、どうして無謀な戦争を始めたのかと思いますよね。私の実感でいうと、国民が戦争を選んだんじゃないんです。ある日突然、降ってきたのよね。高村光太郎や斎藤茂吉のように熱狂した人もいましたが、それは一握り。黙って「そうか」と思っている人たちの方が多かった。
 ただ、軍人の独断専行だけでは歴史が動かなかったことは確かです。彼らを支持して同調する、もっといえば彼らに先立って動くような人たちがいて、こうなった。
 今、私は同じ空気を感じるのです。憲法を守ろうという人は少数派になったといわれ、変えようという人たちが声高になってきている。それに対して、今の国民はどうか。国の運命は偉い人が考えることと思っていないでしょうか。世の中は皆が知らない間に変わってしまうのに。そういう意味では、日本は八十年前と変わっていない。
 今の北朝鮮や中国の動向について不安を感じる人がいるのは分かります。私のように「憲法を守る」「自民党に反対」と言うと孤立することは自覚しています。でも、声高に言う人たちの意見が本当に多数派なのか。
 安倍(晋三元首相)さんの言うことを支持すれば、日本は憲法を変えて戦争できる国になる。戦争って遠くの出来事じゃない。日常的なことなんですよ。食べるものがなくなり、愛している人が殺される。それに耐えられますか? そう尋ねると、皆「嫌だ」と言いますね。
 こういう私の意見が真っすぐ受け止めてもらえたら心配はしませんが、今はそうじゃない。頑張って生きて、言い続けなければと思っています。 (聞き手・大森雅弥)

<さわち・ひさえ> 1930年、東京都生まれ。菊池寛賞の『記録 ミッドウェー海戦』など著書多数。近著は中村哲氏との共著『人は愛するに足り、真心は信ずるに足る』(岩波現代文庫)。

◆戦争は国滅ぼすもの 「昭和史を語り継ぐ会」主宰・保阪正康さん

 日本はなぜ、あの戦争を始めたのか。よく質問を受けます。この問いに対しては、大状況と小状況という二つの面から考えることができます。
 大状況を見ると、近代日本は日清戦争以来、ほぼ十年おきに戦争をしていました。戦争は国益を生むプロジェクトになっていました。戦争に勝って、賠償金と領土を取る。帝国主義的な拡張のため、最も手っ取り早い方法が戦争でした。軍事主導体制の下、日本の権益を守り、拡大するため、戦争は不可避であり、戦争を選択することに、ためらいはありませんでした。
 小状況について言えば、いくつかの政策の失敗が指摘できます。日中戦争で日本は、中国を一撃で制圧できると思っていました。ところが、戦争は長期化し、いら立ちが生まれます。そして、こう考えました。中国が戦争を続けるのは、米国などが支援しているからだ。だから、われわれの最終的な敵は米国や英国、オランダだ。そういう論理で始めた戦争でした。
 ただ、そんな状況でも戦争以外の選択はあるはずです。ここで問題となるのは、その時の政策決定者です。軍事は政治の下にあると考えている人間であれば戦争はしなかったでしょう。少なくとも政治の意見を聞き、米国と戦争ができるのか、もっと議論したはずです。
 開戦時の首相だった東条英機もそうですが、軍人は軍事が政治の上にあるという教育を受けていました。違う考えを持つ軍人も少数ながらいましたが、そういう人は指導部には入れません。軍事優先の教育を受け、それを忠実に継承した軍人だけが指導部に入りました。
 日本では、軍事学が構築されていませんでした。江戸時代には、各藩が軍事学を持っていました。「戦わない」という軍事学です。ところが、明治に入ると、それは古いものとして捨てられてしまいます。明治の軍人教育は、ドイツ型の軍事学を取り入れました。その基本は「皇帝のために死をいとわない」というものでした。
 思想や哲学がなければ、戦争はできません。そうでないと、ただの暴力です。日本軍は戦術も戦略も、何のために戦争をするのかということさえ曖昧でした。思想や哲学のないまま突進し、その場しのぎの判断で戦っていました。だから、最後は人間を爆弾にしたのです。
 私は、蔣介石の次男である蔣緯国(いこく)さんに何度か会って話を聞いたことがあります。米国で軍事学を学んだ彼は、こんなふうに言っていました。日中戦争の時、日本軍は侵略の軍隊だった。侵略軍は、どこまででも突っ込んでいく。そうしないと不安になるから。そして、最後は崖から落ちる。
 昭和史や近代史を調べてきて私がたどり着いた結論の一つは人間は誰でも状況によっておかしくなるということです。戦争になると価値観が逆転します。「人を殺してはいけない」が「一人でも多く殺せ」に変わる。そういう異常な状況をつくってはいけないんです。
 政治で話がつかなければ戦争だ、と主張する人が今でもいますが、戦争を軽々に論じるべきではありません。そういう時代があったことは事実だとしても、その考えはもう通用しない。これを国際的な了解事項にすることが重要です。
 私たちの国は、残念ながら戦争を営業品目のようにしてしまいました。一等国になりたいがために、戦争を手段として使いました。その結果、すべてを失いました。戦争は国を滅ぼすと理解することが大事です。そして「戦争は嫌だ」という感情論ではなく、戦争とは何なのか、そのメカニズムを知って否定する必要があると思います。 (聞き手・越智俊至)

<ほさか・まさやす> 1939年、北海道生まれ。ノンフィクション作家。『昭和陸軍の研究』『あの戦争は何だったのか』など著書多数。『半藤一利 語りつくした戦争と平和』も監修。

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