1日にして”敵国人”に…記憶は消えず 「歴史を学ばなければ、アメリカは差別を繰り返す」

2021年12月8日 06時00分
真珠湾の記憶 日米開戦80年㊥日系2世として

米中西部オハイオ州シンシナティの自宅で10月、真珠湾攻撃からの日々を振り返る日系2世のウォルター・オカさん

 「バンザイ、バンザイ」。1941年12月7日、米ハワイ・オアフ島。日本軍の突然の攻撃で大混乱に陥った真珠湾から歩いてすぐの自宅で、普段は寡黙な父が歓喜の声を上げたのを、13歳だったウォルター・オカ(93)はよく覚えている。
 あの日、父が見上げていたのは、日の丸をつけて乱舞する戦闘機。日本軍は総勢350機の猛攻で米戦艦4隻を沈没させるなどの戦果を挙げた。「日の丸を見て自然と沸き上がる思いがあったのだろう」とオカは振り返る。白人が経営するサトウキビ農園で働く父と母は広島県からの日本人移民。オカは苦労を重ねる2人の下、ハワイで生まれ育った日系2世だった。

◆自宅に監視、無線機は没収

 だが、真珠湾攻撃は一家の運命を大きく変えた。
 攻撃からまもなく米軍兵らが自宅の監視を開始。家族が趣味で持っていた無線通信機は、日本軍との交信を疑われ安値で没収された。米軍基地内の売店で働くようになったオカの身分証は、顔写真の背景が「敵国人」を示す黒で塗られた。
 「われわれは結局ジャップ(日本人の蔑称)だった」とオカ。日本が占領したフィリピン出身の住民から突然殴られたこともある。

◆「おれたちは米国人」兄も自分も軍隊へ

終戦後、米軍兵として日本に派遣されたオカさん。当時の写真をアルバムに収めている

 3人の兄たちは「おれたちは米国人なんだということを示さなければならない」と日系人で組織された米陸軍第442連隊に志願入隊した。忠誠心を示すため「GO FOR BROKE(当たって砕けろ)」を合言葉に、欧州でナチス・ドイツと激しく戦い、米軍でもとりわけ高い死亡率を記録した連隊だ。
 第2次世界大戦が終わった翌年の46年、18歳になったオカは自身も米軍へ入ることを決めた。幸い軽傷で帰還した兄たちからは「軍や戦争は甘くないぞ」と諭されたが、決意は揺るがなかった。日系2世の自分が米国で成り上がっていくには、復員兵に政府が提供する大学進学支援策が必要だと考えたからだ。

オカさんが撮影した広島の原爆ドーム。原爆投下から2年ほど後だという

 派遣先は米軍が占領した日本。日本語の能力を買われ、帰国した兵士への尋問を手伝った。戦争に敗れた両親の祖国はどこも焼け野原で「正直に言って、ハワイに渡った2人に感謝した」とオカ。満足な教育を受けていない元兵士も多く「かわいそうという感情しか起きなかった」。日の丸を見て興奮した父の世代とは違う自分を再確認した。
 3年の従軍後、中西部オハイオ州の大学へ。その後は血液や免疫の専門職として病院で働いた。ドイツ系の妻と6人の子に恵まれ「戦後は大した差別は受けなかった」とオカは言う。米政府は88年、本土での強制収容など大戦時の日系人差別を正式に謝罪した。

◆憎悪の矛先

 だが、真珠湾攻撃で一日にして敵国人とされた記憶は消えていない。イスラム過激主義者による2001年9月の米中枢同時テロ後には、イスラム系排斥の動きが表れた。最近の新型コロナウイルス禍でもアジア系への暴力が横行する。
 「あの戦争や日系2世の歴史を学ばなければ、この国はまた差別を繰り返してしまうかもしれない」とオカ。もうほとんど忘れてしまった日本語だが、自身を「ニセイ」と呼ぶ時の発音には今もよどみがない。(敬称略、オハイオ州シンシナティで、杉藤貴浩、写真も)

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