<東海第二原発 再考再稼働>(35)避難計画、免罪符でない 環境学習同好会代表・中村弘美さん(64)

2021年12月8日 07時42分
 一九八六年の旧ソ連・チェルノブイリ原発事故後、「日本はソ連とは違う」と安全をうたう専門家が多かった。だが、東京電力福島第一原発事故が起きてしまった。「もうだまされない」と誓った。
 チェルノブイリ事故の翌年、福岡県の主婦甘蔗珠恵子(かんしゃたえこ)さんが書いた冊子「まだ、まにあうのなら−私の書いたいちばん長い手紙」を手に取った。放射能が子どもたちに及ぼす影響をはじめ、原発を巡る深刻な問題が記されていた。事故の年に長女が生まれたばかりだったから、より切実に危険が認識できた。
 ところが、知り合い六十人ほどに冊子を送ったら、「心配しすぎ」「恐怖を植え付けているだけ」と言われ、宗教団体の案内書を送り返してくる人もいた。すごくショックだった。
 その後、小学校で娘が「県民の歌」の三番にある「世紀をひらく原子の火」という歌詞を歌っているのを聴き、県内にある日本原子力発電東海第二原発(東海村)を意識するようになった。
 確信を持って駄目と言えるまで原発を知り、「原発はやめなければ」という仲間を増やそうと、二〇一一年に「環境学習同好会」を始めた。毎月二、三回、牛久市内で十人ほどの勉強会を開き、原発、核、放射能などの問題についてDVDを見るなどして学んでいる。原発の構造的な問題など難しい話は分からないが、直感で人と核は共存できないと分かる。
 十月末には、福島第一から三十キロ以上離れているのに今も帰還困難区域の福島県浪江町津島地区を、ドローンで上空から撮影した映像「ふるさと津島」を上映。空間放射線量を事故前の水準に戻す原状回復や、慰謝料の支払いなどを求めた集団訴訟の原告住民からも話を聞いた。
 映像で見た津島地区は牛久ととても似た風景で、「元通りにならないのは分かっていても、元通りにしてほしい」という住民の訴えが切実に感じられた。ひとたび東海第二で事故が起きれば、私たちも同じようになる。動かしていいわけがない。
 東海第二の避難計画について牛久市の担当者に聞くと、市は計画策定を義務づけられている三十キロ圏に含まれていないとして、「必要に応じて屋内退避してもらう」という答えしか返ってこない。
 だが、一番近い関西電力高浜原発からも五十六キロ離れたところに市役所がある兵庫県丹波篠山(ささやま)市は一七年、事故時の避難の仕方などを詳しくまとめた「原子力災害対策ハンドブック」を作っている。県内の三十キロ圏外の市町村も、防災訓練や避難所運営計画に原子力災害を加えるべきだ。
 行政が言う「実効性のある避難計画」とは何なのだろう。とにかく作ってしまえば原発を動かしていいという免罪符にしてはならない。(聞き手・林容史)
<なかむら・ひろみ> 1957年、千葉県松戸市生まれ。千葉県立我孫子高卒業後、大手銀行勤務を経て、全国チェーンのスーパーマーケットでPOP広告の製作に従事した。2011年に環境学習同好会を設立し、代表を務める。牛久市在住。

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