「負の歴史」から距離を置くロシア 旧日本軍の「戦争犯罪」をアピール「戦勝国ソ連は正義、敗戦国は悪」

2021年12月8日 12時00分
 ロシア政府が旧日本軍の「戦争犯罪」をアピールしようと躍起だ。ソ連時代の対日参戦や北方領土の実効支配を正当化する狙いだが、過去に非を認めたシベリア抑留については口を閉ざす。太平洋戦争開戦から8日で80年。歴史認識を巡る日ロの傷口が開きつつある。(ウラジーミル、イワノボ両州で、小柳悠志)

「プリンス」と呼ばれた近衛文隆=遺族提供

 モスクワの東に位置するウラジーミル監獄。情報員を養成する陸軍中野学校の創設に関わった秋草俊少将らは、この地で没した。監獄内の資料館長ザクルダエフ氏(52)は「彼らは戦争犯罪ゆえに裁かれ、ここに来た」と説明した。
 「プリンス」と呼ばれた軍人も客死した。天皇家の血筋を引く近衛家の嫡子、近衛文隆ふみたか陸軍中尉。父は3度も首相を務めた文麿ふみまろだ。近衛は、終戦直後の満州国(現中国東北部)でソ連特殊部隊「スメルシ」の襲撃を受けて捕虜に。反ソ活動を理由に禁錮25年の判決を受けた。各地をたらい回しにされ、1956年の日ソ共同宣言直後にイワノボ州の収容所で急死した。

再審請求のため近衛文隆が書いたロシア語の手紙の写し=カタソノワ氏所蔵、小柳悠志撮影

 だが、抑留問題に詳しいロシア科学アカデミー日本研究センター長のエレーナ・カタソノワ教授(70)は「近衛は裁かれるような罪を犯していなかった」。こう断言する。
 近衛が死ぬ3年前、ソ連首相のマレンコフ宛てに再審請求した手紙の写しがカタソノワ氏の手元にある。「いかなる反ソ活動もしていない私を裁くことは不当であり根拠もない」。近衛は獄中でも法の秩序と正義を信じた。
 ソ連は訴えを無視。「プリンス」を手元に置くことで、日本に圧力を与える狙いがあったとみられる。カタソノワ氏は「近衛の捕囚はスターリンら政府中枢で決定されていたはずだ」と語る。

◆シベリア抑留「非人間的な行為」と謝罪も…

近衛文隆が最期を迎えたイワノボ州チェルンツィ村の収容所跡=小柳悠志撮影

 捕虜らを帰還させなかった深刻さはソ連末期になって直視されるように。当時の最高指導者ゴルバチョフ氏(90)が「歴史の中で忘却される名前があってはならない」との信条から情報公開を進めたからだ。
 ソ連領でない国・地域の「反ソ的な行動」をソ連の法で裁くのは合理性を欠いた。近衛らの有罪判決は誤りだったとして、軍検察は無罪認定と名誉回復措置を行った。ソ連崩壊後、ロシアのエリツィン大統領も93年、シベリア抑留を「非人間的な行為だった」と訪日時に謝罪した。
 ところがロシアは近年、「負の歴史」から距離を置くように。国民の愛国心を高めようとするプーチン大統領の意向に沿い、「戦勝国のソ連は正義、敗戦国は悪」と構図を単純化する動きが強まっている。
 8月には関東軍による対ソ戦の準備や細菌兵器開発に関する文書を公開。9月には極東ハバロフスクで、日本軍に対する49年の軍事裁判の意義を論じる学術会議を開いた。プーチン氏は会議に合わせ「戦争の歴史をゆがめる試みには、事実や文書で対抗しなければ」と日本をけん制した。

昨年完成したモスクワ郊外のロシア軍大聖堂の壁画。ドイツと日本に対する勝利を強調している=小柳悠志撮影

 もっとも最近のロシアが公開するのは日本軍のアジア侵略に関する史料ばかりで「シベリア抑留の文書は開示されなくなった」(日本人研究者)との指摘も。情報機関が保管する近衛の再審請求の手紙も閲覧不可になったという。
 プーチン氏の側近、パトルシェフ安全保障会議書記は9月、対日参戦は「日本軍の残虐行為を止め、アジア諸国民を解放する唯一の手段だった」と主張した。
 一方、欧州ではソ連とドイツが39年、独ソ不可侵条約の秘密議定書で東欧の勢力圏を決定したことが、大戦勃発につながったとの批判がくすぶっており、ロシア側は「欧州をナチスから解放したのはソ連だ」と反発している。

 ▽ソ連の対日参戦 ソ連は太平洋戦争末期の1945年8月9日、相互不可侵をうたう日ソ中立条約を破って満州や朝鮮半島に攻め込み、日本のポツダム宣言受諾後も9月上旬まで樺太(サハリン)や千島列島で戦闘を続けた。対日参戦は同年2月の米英ソ首脳によるヤルタ会談の密約で決定した。日本人将兵や軍属でシベリアやモンゴルなどに連行された抑留者は約60万人に上るとされる。

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