恋せよ、少女(をとめ)こゝから 「ゴンドラの唄」初出判明 100年越しの謎解ける

2021年12月9日 07時03分

長年の謎だった「ゴンドラの唄」の初出は、大正4年の雑誌「新日本」だった

 「命短し、恋せよ、少女(をとめ)」の歌詞で知られ、歌人の吉井勇(一八八六〜一九六〇年)が作詞した「ゴンドラの唄」の初出が、一九一五(大正四)年発行の総合雑誌であることが、静岡県立大の細川光洋教授の調査で判明した。帝国劇場(千代田区)での初披露から一世紀余り。底本の発見で、これまでに伝えられていた歌詞の誤字なども判明した。

作詞した吉井勇=1946年(高知県香美市立吉井勇記念館提供)

 「ゴンドラの唄」は、森鷗外が訳したアンデルセンの「即興詩人」の一節をもとに、吉井が作詞。中山晋平(一八八七〜一九五二年)が曲を付け、一五年四月下旬、帝国劇場の芸術座公演「その前夜」(原作・ツルゲーネフ)の劇中歌として、「カチューシャの唄」などで知られた人気女優・松井須磨子(一八八六〜一九一九年)が歌った。「熱き血汐(ちしほ)の」などの表現は、吉井が愛読した与謝野晶子(一八七八〜一九四二年)の「みだれ髪」に収録された短歌<やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君>などの影響とみられる。

女優の松井須磨子

 舞台に先立つ初出は長い間不明だったが、吉井を研究する細川教授は、大正期の雑誌などを調査。当時の首相・大隈重信がかかわっていた総合雑誌「新日本」(一九一五年四月一日発行)の文芸付録の最終ページに、「この歌は近く芸術座に於(おい)て上演さるべき『其(その)前夜』劇に於て松井須磨子氏のうたふべき歌なり」として、吉井が歌詞を紹介していることを見つけた。

初めて掲載された新日本の表紙

 一番の歌詞は、これまで「熱き血液(ちしほ)の冷えぬ間に」と表記されてきたが、原本である「新日本」では「熱き血汐の〜」となっているなど、複数の箇所で表現が異なることも分かった。
 「ゴンドラの唄」は、黒沢明監督の名画「生きる」で、死を前にした老公務員(志村喬)が、雪が降りしきる中、自らの奔走でやっと完成した小さな公園のブランコに乗って口ずさんだことなどでも知られる。森繁久弥、美空ひばり、ちあきなおみ、藤圭子ら、さまざまな歌手により百年以上歌い継がれてきた。
 細川教授は十一月二十七日にオンラインで開催された「明星研究会」での発表で、発見を報告した。

◆執念のたまもの

<相沢直樹・山形大教授の話> 吉井勇の作品で最も有名な「ゴンドラの唄」は、作者が残したものが見つからないため底本がなく、全集にも収録されないという異常な状態が長く続いていた。これまでは「セノオ楽譜」と「その前夜」劇の脚本を参考に「復元」を試みたりするしかなかった。発表を伺うかぎり確かに初出と考えられ、画期的な発見であることは間違いない。今後、他のテキストとの比較対照などを待つことになるが、「ゴンドラの唄」の出発点に残された最大の謎を解いた快挙で、研究者の執念のたまものだ。
文・加古陽治
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