戦時中は存在隠された捕虜…80年経て石碑に 真珠湾で出撃、特殊潜航艇部隊唯一の生き残り

2021年12月9日 10時21分

碑に設置される隊員の集合写真(手前)を前に、酒巻和男さんの思い出を語る長男の潔さん=2日、愛知県豊田市で

 1941年12月8日の真珠湾攻撃から80年。出撃した海軍特殊潜航艇部隊の記録を伝える石碑が、作戦前に極秘訓練が行われた愛媛県伊方町の佐田岬半島に完成した。隊員10人のうち9人は戦死。唯一生き残った故・酒巻和男さん(18〜99年)は最初の日本人捕虜となり、戦時中は存在自体が隠された。8日に公開された碑では9人と酒巻さんが一緒に紹介され、長男の潔さん(72)=愛知県豊田市=は「おやじは80年を経て、心のふるさとに帰還できた」と感慨にふける。(梶山佑)
 10人は5艇に分かれて搭乗し、作戦に参加した。酒巻さんは機器の故障で座礁。米軍に捕まり、終戦まで収容所で過ごした。「捕虜は国の恥」とされた時代。戦死した9人が戦意高揚のため「九軍神」とたたえられた一方、軍は酒巻さんの存在を秘匿した。
 酒巻さんは現在の徳島県阿波市出身。15歳下の実弟、松原伸夫さん(88)=徳島市=は、42年1月に海軍将校が「戦死」を伝えに、家を訪ねてきたのを覚えている。しばらくして別の将校が来て、「生死不明。他言しないように」と求めたという。
 戦後に帰国した酒巻さんは、トヨタ自動車工業(現・トヨタ自動車)に入社。ブラジル現地法人の社長を務めた。「捕虜第1号」「俘虜(ふりょ)生活4ヶ年の回顧」の手記2冊を出したが、家族には多くを語らなかった。
 66年、佐田岬半島の三机湾に臨む須賀公園に「大東亜戦争九軍神慰霊碑」が建てられたが、酒巻さんの名前だけは刻まれなかった。生前、三机を何度も訪れて「仲間の声が聞こえる」と語っていたという酒巻さんは99年、81歳で亡くなった。
 開戦80年が近づき2020年夏、松原さんの友人で、徳島県美波町の元教諭青木弘亘さん(80)らが酒巻さんの足跡を残すため、手記の復刻版を出版した。今回、須賀公園内の慰霊碑から少し離れた場所に「真珠湾特別攻撃隊の碑」を設置。碑は高さ2メートルで、艦上で整列する隊員10人の集合写真と紹介文を焼き付けた陶板をはめ込んだ。
 潔さんは13年に一度だけ、この公園を訪れたことがある。しかし、酒巻さんの存在は一切触れられておらず、「二度と来ることはないと思っていた」。8日は現地で石碑の披露を見届けた。「ようやく、青春を共にした仲間と一緒にいられるようになった」と思いをはせた。
 ◇
 青木さんらは、トヨタ時代の関係者のコメントを盛り込んだ手記の復刻版第2版を出版した。酒巻さんの足跡を残す活動のため寄付も募っている。問い合わせはイシダ測機=電088(625)0720=へ。

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