「キング」の苦い記憶、北京金を目指す後輩への金言に ノルディック複合・荻原健司

2021年12月10日 06時00分

長野五輪の個人前半飛躍で飛距離が伸びず、苦笑いする荻原健司=1998年2月13日、白馬ジャンプ競技場で

<白銀の記憶①>
 「キング・オブ・スキー」の称号は荻原健司のものだった。ジャンプ(飛躍)とクロスカントリー(距離)の総合力が求められるノルディックスキーの複合で、1992~93年シーズンから3季連続でワールドカップ(W杯)の個人総合王者に輝き、五輪は92年アルベールビル、94年リレハンメルの2大会で団体金メダル。だが、五輪の個人ではメダルに手が届かなかった。
 「23年たった今でも心残り。もう少し何かできたのでは」。そう悔いるのは、98年長野五輪だ。大舞台の自国開催。ただ、日ごろの練習拠点は逆に、「重圧が全く違った」という舞台になった。

おぎわら・けんじ 1969年生まれ、群馬県草津町出身。92~93年シーズンのW杯で日本勢初の総合優勝。異次元の強さから「宇宙人」と呼ばれた。長野五輪は日本選手団主将。開会式で選手宣誓を務めた。双子の弟次晴つぎはるも複合の元選手。現長野市長。

 個人戦は前半9位と出遅れた。飛躍でリードを稼いで後半の距離で逃げ切るのが必勝パターンだったが、後半のスタート差はトップの選手と1分半。もはや絶望的。15キロで争う距離の終盤、4位集団から抜け出した。金メダルはないが、もがいた。ゴールに飛び込み、へたり込んだ。4位。表彰台はあと一歩だった。
 「大会当日までにどれだけ練習を積んで、最高のパフォーマンスを発揮できるか。今さらながら、取材などに対応している暇があったなら、もっと練習に集中すべきだったんじゃないか」。後悔と反省。苦い経験が今も胸に残る。
 その後、ルールが変更され、一時代を築いたころに比べて飛躍で得られるアドバンテージは小さくなった。世界のトップを争うことができる荻原や河野孝典らが活躍した90年代前半が過ぎ去り、距離が苦手な日本勢には「冬の時代」が訪れた。

東京五輪の聖火ランナーを務めた=2021年4月、長野市で

 時を経て、昨季のW杯。荻原の持つ複合日本勢最多の通算19勝に並んだのは、渡部暁斗(北野建設)だ。荻原は2年前まで同じ所属先のスキー部でゼネラルマネジャーを務め、渡部の成長を見てきた。北京五輪で悲願の金メダルを目指す後輩を「私たちの時代にいたら、全戦全勝くらいのレベルの高さ」と評し、新たなキングの誕生を期待してこう言う。「削れるものは徹底的に削り、本番に向かって集中していってほしい」(中川耕平)
 冬の五輪で活躍した「レジェンド」たちにも、栄光だけでない苦い経験がある。来年2月の北京冬季五輪に向け、現役選手たちへの教訓となる「白銀の記憶」をたどった。全4回。

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