血に染まったマットは「全てを懸けた」覚悟の証し パラテコンドー田中光哉 師弟でパリへ再始動

2021年12月16日 18時41分
東京パラリンピック男子61キロ級敗者復活戦でアゼルバイジャン選手(右)を攻める田中光哉=9月2日、幕張メッセで

東京パラリンピック男子61キロ級敗者復活戦でアゼルバイジャン選手(右)を攻める田中光哉=9月2日、幕張メッセで

<スポーツ2021年末回顧②>
 血のにじむ努力を重ねて、たどり着いた東京パラリンピック。今大会から採用されたテコンドーで、男子61キロ級の田中光哉(29)は世界の壁を知った。初戦の2回戦で大敗し、敗者復活1回戦でも敗れた。うなだれながらマットを去る姿を記者席で見つめ、師範の洪君錫ホングンソクさん(49)とともに4年間歩んできた日々を思った。2人ともさぞ、無念だったろう。
 横浜市鶴見区にある道場「洪人館」。田中が初めて訪れたのは、テコンドーと出合って間もない2017年4月だ。その日のうちに代表を務める洪さんに「パラリンピックに出たい」と伝えた。
 洪さんはテコンドー発祥の韓国出身。母国でも障害者の指導経験はあるが、当初は田中の言葉を本気とは捉えていなかった。それまでもパラに出たいと道場の門をたたいた人は複数いたが、厳しい練習に耐えかねて「全員が逃げた」から。田中は違った。
 課したのは基礎のステップ。鮮やかな蹴り技が特徴の競技とは対照的に、すり足のような前後のフットワークを延々と繰り返す。足裏にはマメができ、何度もつぶれた。道場の青いマットの上には、田中の足跡をたどるように赤い血が点々とにじんだ。
 「顔が真っ青になって、冷や汗が出て。でも弱音を言わなくて。感動してしまった」。洪さんは当時をそう振り返る。ほとんど会話もないままに1カ月がたったころ、手を差し伸べた。「一緒にやろう」。師弟関係が始まった。
 田中は務めていた東京都障害者スポーツ協会を辞め、新たな世界に飛び込んだ。生活への不安は常に付きまとう。そんなとき、洪さんが「今できる全てを懸けてやろう。東京パラにはそれだけの価値がある」と励ました。
 勝負の世界。明暗が分かれるのは仕方ない。だが、競技人口が乏しく大会を開いても試合がままならない国内の状況が違えば、とは何度も思った。コロナ禍によって海外遠征もできず、東京大会が代表選考会以来、約1年7カ月ぶりの試合だった。それでも、田中から言い訳めいた言葉は一切聞かれなかった。
 田中は24年パリ大会を目指し、再始動した。その過程で体験会や講演も積極的に行い、裾野を広げようとしている。心から励ましの言葉を送りたい。「負けるな!」(中川耕平)

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