大会がなければ「もっと悔しかった」 東京パラリンピック初出場で変わった人生 パラ陸上・兎沢朋美

2021年12月17日 06時00分
東京パラリンピック女子走り幅跳び 跳躍を終え抱き合う前川楓(手前)と兎沢朋美=9月2日、国立競技場で

東京パラリンピック女子走り幅跳び 跳躍を終え抱き合う前川楓(手前)と兎沢朋美=9月2日、国立競技場で

<スポーツ2021年末回顧③>
 心の奥から漏れた本音だろうと感じた。東京パラリンピックに初出場した兎沢朋美(22)=富士通=は9月2日、陸上女子走り幅跳び(義足・機能障害T63)で実力を出せず4位に終わり、悔し涙とともに言葉をあふれさせた。「大会が開かれなければ、もっと悔しかったろうっていうのを、たぶん思ったと思うので」
 東京大会がなかったら、悔しい。選手としての正直な気持ちを、もっと前に吐き出していてもよかったのに。もらい泣きしそうになりながら思った。兎沢はいつも、どんな質問にもよく通るはっきりした声で、自分の言葉を選んで答える。声を震わせながらも話し続ける真面目さは兎沢らしい。今日くらい、もっと泣き崩れてもいいのに。
 大会後半は雨が続いた。この日も本降りで、競技が始まる午後7時、無観客の国立競技場は肌寒かった。兎沢の表情は硬く、1、2本目がファウルとなり、守りに入った3本目で記録が付いても険しいまま。結果は自身のアジア記録にも及ばず、「今はすごく悔しいけれど」の後に続いたのが先の言葉だった。
 義足アスリートは注目されやすい存在だと思う。脚がなく、明らかな人工物を着けている姿は見た目にも障害が分かりやすい。ブレードと呼ばれる競技用義足で駆ける姿は、メディアが求めたくなる「華やかでかっこいいパラアスリート」像に当てはまる。でも、競技場で義足をむき出している姿に見慣れると、そこに至るまでの葛藤を想像する力が鈍くなる。
 兎沢は小学5年で病気のため左脚を切断してから、中学卒業の直前までは仲の良い友人にも脚がないとは明かせなかった。理系の学部に進もうと考えていた高校3年の冬、日体大の日本財団パラアスリート奨学金を知り「東京大会を目指したい」と180度進路を変えた。病気以来、前向きになりきれなかった自分を変えたいとも思っていた。
 自国開催の大会がきっかけで、人生が転換した人は多くいるだろう。兎沢もその1人だ。「出たい」と目標が持てたから、隠しがちだった義足も見せられるようになった。それまでの自分の葛藤も語れるようになった。アスリートと呼ばれるようになる1人の若者に、将来への希望を与えた東京大会。開かれて良かったと、心から思っている。(神谷円香)

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