新型コロナ闘病で体重12kg減「肺の年齢は95歳」 54歳男性が語る厳しい入院生活と後遺症の不安

2021年12月26日 12時27分
 新型コロナの「第5波」が過ぎて国内の新規感染者は大きく減りました。しかし感染した人にとってコロナとの厳しい闘いは続いています。東京都北区の男性(54)が、1カ月半に及ぶ入院闘病と後遺症に悩む現在の様子を語ってくれました。不安と闘いながらリハビリに励む日々だといいます。(永井理) 

駅などで人の流れに合わせて歩くと息が切れてしまい通勤も難しい。

◆10m歩くのがやっと「危なかった」

 待ち合わせ場所に現れた男性は、リハビリの帰りでした。「一時は感染前より12キロ痩せました。落ちたのはほとんど筋肉です」。男性の歩みはゆっくり。周囲に合わせて歩くと息が切れるといいます。外に出掛けるのも大変です。取材後に男性から「無事に帰宅しました」とメールが来ました。
 男性は7月末に倦怠けんたい感を覚え、数日後に39・5度の熱。息苦しさも感じ始めました。発熱相談センターに電話すると「自分で救急車を呼んで」と言われました。救急車は来てくれたものの、診てくれる病院がなかなか決まりません。幸運にも近所の病院が検査をしてくれました。コンピューター断層撮影(CT)を受けると肺炎が進んでおり、医師から「PCR検査を待つまでもなくコロナです」と告げられました。
 でも、8月上旬は「第5波」で病床が逼迫ひっぱくしており自宅療養になりました。救急車を呼んだとき、帰りは公共交通機関は使わないよう言われていました。一人暮らしで迎えも来ない。仕方なく病院から歩き、何とか家にたどり着いたといいます。
 もらった薬を祈るように飲みましたが症状は悪化。しかし保健所から連絡はありません。「不安になり、3日目にこちらからかけたら25回目でようやくつながった」といいます。保健所も手いっぱいでした。
 入院することになりましたがベッドはなかなか見つかりません。救急車を呼んで5日目の夜。保健所から「今日は駄目でした。あすまた探します」と電話がありました。「寝転べば息ができるが、もう立てなくなりそうだった」
 不安の中で迎えた6日目の朝、最初の病院から電話がありました。保健所は手が回らないだろうから、帰した患者の様子を確認しているとのこと。入院先が見つからないと医師に話すと「今日退院する人がいるのでうちに来れば」と保健所に連絡してくれました。「これで何とかなる、とほっとしました」。昼前に迎えの車が来ましたが、乗り込むのに10メートルほど歩くのがやっとでした。「自宅で亡くなる人がけっこういると後から聞きました。危なかった」

携帯電話を持つ男性。人工呼吸器が外れた直後はメールを打つのもつらかった。

◆10日間の眠り「助かるかどうか五分五分」

 病院に着いたら、もう立てませんでした。車いすで病室に運ばれ尿を採る管と酸素吸入マスクをつけました。それでも肺は悪化して、血中酸素濃度は90%ちょっとでした。90%を切ると人工呼吸器などが必要になる危険な状態とされます。「苦しくて背中の位置を変えようと少し動くと90%を切って、ピーポーピーポーと警報が鳴り看護師さんが飛んでくる。また息苦しくなって体を動かすと鳴る」。そんな状態が3、4日続いたといいます。
 「ある朝、もう一度CTを撮ったら、病室に人工呼吸器が運び込まれてきました。喉に管を通すと聞いていたので避けたかったんですが、つけないと危険だということでした」
 呼吸器をつけるときは麻酔をかけるので、10日ほど眠ったままになると説明を受けました。「15分だけ時間をください、と先生に頼んで携帯電話のメールで兄や姉、友人や職場などに連絡しました。コロナ感染は友達にしか伝えていなかった。家族には治ってから『実はこうだった』と言えばいい、ぐらいに思っていたのです」
 その後は眠っていたので、どんな状態で呼吸器がつけられていたのかは全く知らないといいます。10日たって目が覚めると見慣れない場所に移されていました。ここはどこだろうと不思議に思うばかりで、目覚めたことがどんなに幸運か、まだ知りませんでした。
 「呼吸器は既に外されていました。喉を切り開いて管を入れたのか確かめようとしたら、看護師さんに、切ってませんよ、と言われました」。ただ鼻には何本かの管が。栄養と酸素、薬を補給する管だと説明を受けました。「首にも点滴みたいな管がついていたと思うが、今思うと現実のことかよく分からない」といいます。
 携帯を見ようとしたら重くてうまく持てませんでした。「力が入らず文字も打てない。職場に3行のメールを送るのに2時間半かかりました」
 連絡し忘れていた友達グループが大騒ぎになっていました。「メッセージが既読にならない。何かあったのか!と」。でもその心配も大げさではなかったのです。「後で兄から、(助かるかどうか)五分五分と先生に言われていたと聞きました」
 当時は人工呼吸器でさらに悪化しても、重症専門の大学病院などの転院先が見つからないまま亡くなるケースもありました。「後で先生に尋ねると、そのまま容体が急変すれば最悪の場合、目覚めないということもあるとのことでした。15分間で送ったメールが今生の別れにならず良かったと思いました」。

◆本当に戻るのか「寿命が何年か縮んだかも」

 目が覚めて一番驚いたのは、全く立てないことでした。ベッドに短時間座るのがやっと。「座っていると腰回りの筋肉が痛くなる。座るのにこんな場所の筋肉を使うんだと分かりました」

リハビリに通う男性。元の生活に戻るため努力を続ける。

 数日すると一般病棟に移り、リハビリが主になりました。「ベッドで寝ていると呼吸が楽で、肺は治ったと思っていました。でも鼻から酸素が入っていたから苦しくないだけでした。動くときつかった」
 最初の1週間はほとんど歩けず、リハビリの療法士の前で泣き崩れたことも。「元のように歩けるのか不安で不安で、思わず涙が出ました」。最低限、歩けるようになって退院したのは9月中旬でした。歩けるとはいえ「平たんな場所をゆっくり。階段はもちろん緩い坂道も駄目」。
 仕事の契約延長は諦めました。通勤が難しかったからです。電車で1駅は耐えられるが乗り換えは無理でした。階段を休まずには上れないし、人の流れと同じ速さで歩けないからです。買い物も少し離れたスーパーに行ってみたが、坂道があるとやはりつらい。家に帰ると、無事に家に帰り着いたなと思ったそうです。
 「退院して2週間後に検査を受けたら、先生から、肺の年齢は95歳、と言われてショックでした」。ただ、その後に「1年間リハビリを頑張れば元の生活に戻れますよとも言われ、頑張る目標ができた」。
 リハビリのため平日はほぼ毎日、電車で1駅のスポーツクラブに通っています。筋力トレーニングのマシンをできる範囲で動かす。
 「まだ有酸素運動は怖くてできませんが、筋力は徐々に戻ってきた」といいます。年末に2度目の検査がある。結果を見て、仕事を探そうかと考えるようになった。ただ、本当に1年で戻るのか不安になることもあるといいます。「将来何か病気をしたとき、ダメージを受けた肺はどうなるのか心配。もしかしたら寿命が何年か縮んだのかもしれないとも思う」
 欧州では感染が急拡大して病床が逼迫してきた国もあり、韓国でも感染が広がっています。オミクロン株の広がりも心配です。男性は「感染しても2週間ほど休めばいいぐらいに考えていた。本当はもっと大変な病気。将来まで影響するかもしれない、ということを知ってほしい」と訴えます。

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