デモは民の熱意のバロメーター 新風吹き込む仕掛人「次に政府がやらかした時にバーンといけばいい」

2022年1月4日 06時00分
<新年連載・声を上げて~デモのあとさき③>

経営するリサイクルショップで「原発やめろデモ」を振り返る松本哉さん=昨年12月、東京都杉並区で

◆「原発事故は2、3週間で沈静化?うやむや感が怖かった」

 「反原発のデモが盛り上がったのはよかったけど、もうちょっと短期決戦でやれればよかったな…」
 東京都・高円寺でリサイクルショップ「素人の乱5号店」オーナーの松本はじめさん(47)は、苦笑いに悔しさをにじませた。
 東日本大震災の発生1カ月を目前にした2011年4月10日。高円寺で「原発やめろデモ」を実行した。当初予想は500人規模。ところが1万5000人もの人が集まり、反原発デモが全国に広がる契機となった。

2011年4月10日の高円寺でのデモには地元のミュージシャンも多く参加。1万5000人のデモ行進は4キロのコースを周回するのに3時間かかった(「素人の乱」提供)

 法政大出身。在学中は味の割に高い学食に抗議し、食堂前で100円カレーを販売する「カレー闘争」などを展開。卒業後は「俺のチャリを返せデモ」「家賃をただにしろ一揆」など奇抜なアイデアと自由な雰囲気でデモに新風を吹き込んだ。
 東日本大震災と東京電力福島第一原発事故のニュースは、松本さんにも衝撃を与えた。津波と放射能で故郷を奪われる人々の姿が映し出される。「事故から2、3週間で沈静化しますってニュースを聞いて、うやむや感が怖かった。これはデモやんなきゃと思った」
 発案から10日間でチラシを作り、口コミやツイッターで参加を呼びかけた。
 迎えた当日。会場の高円寺中央公園は人であふれた。大勢で太鼓を鳴らし、手作りのプラカードを掲げ、高円寺の街を練り歩いた。参加者に聞くと、9割ほどがデモは初体験だった。

◆台湾や中国、韓国に渡り、現地の人たちと交流

 その後、デモのやり方を教わりたいという問い合わせが「死ぬほど来た」。しかし、松本さんはほどなく反原発デモから姿を消す。
 「誰が主導しているか分からない状態をつくって政府に畳みかける。そういう短期決戦を思い描いていた。それが長期戦になって、官邸前のデモは盛り上がっているけど、参加している人としてない人の温度差を感じて、これはちょっと勝てないなと感じた」
 そして台湾や中国、韓国に渡り、現地の人たちと交流するようになる。
 「原発やめろデモをやっている頃、台湾の反原発をやっている若い人に呼ばれて行った。日本の予定調和好きなところをぶち壊したくて。目標が同じでも、違う考え方やセンスを持つ人と交流したいと思った。ところが向こうでも酒を飲みながらデモやってる人は、真面目なグループから怒られる。日本と同じ感じで」
 共通点に加え、新たに気づくことも多かった。
 「デモって西洋発祥で、日本やアジアはまだ生活に根付いていない。でも、アジアの人は表では従っているふりをして、裏で違うことをやる。中国では、検閲を受ける時の歌詞と、ライブでの歌詞が違ったりする。恋愛ソングが、政府の悪口に置き換わるみたいな」
 こうした体験を通じ、デモは「世の中をなんとかしないと」という民衆の熱意のバロメーターだと思う。
 「結果として、今も原発があるから負けじゃないかって言われるかもしれないけど、そうじゃない。日本は負けたら反抗しちゃいけない、運動から足を洗って真面目に働くってなるけど、そうじゃないよね。今はこれぐらいの力なんだと。次に政府がやらかした時にバーンといけばいいんじゃないかって思う」(砂上麻子)
  ◇
 原発再稼働が間近に迫った2012年6月、首相官邸前は抗議する人の波で埋まった。あれから10年。社会はどう変わり、どこへ向かおうとしているのか。声を上げ始めた人の姿を通して見つめ直す。

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