高3だったあの時、「民衆の歌」で気持ちが一つになった… 障害者施設職員として「個人を尊重する社会に」

2022年1月5日 06時00分
<新年連載・声を上げて~デモのあとさき④>

2015年に参加していた安保法制に反対するデモを振り返る山森要さん=国会前で

 ♪戦う者の~
   歌が聞こえるか
 2015年8月30日、国会前。高校3年だった山森要さん(24)=埼玉県草加市=は、仲間と「民衆の歌」を歌い始めた。ミュージカル「レ・ミゼラブル」の劇中歌。人々に「戦え」と呼び掛ける歌は、会員制交流サイト(SNS)で知った市民も巻き込み、200人以上の大合唱になった。

◆「人ごとにしたくなかった」

 「高校生の自分たちができることは何だろう。一番なじみがあったのが歌だった。あの時、気持ちが一つになった」と振り返る。安全保障関連法案の反対を訴え、「Sing For Peace(平和のために歌う)」と書いた手作りの横断幕を掲げた。
 政府は2015年5月、集団的自衛権の行使容認を柱とする安保関連法案を国会に提出。審議が始まると連日、国会前に抗議する人が集まった。

2015年5月、安保法制反対を訴える集会で発言する、当時高校3年の山森要さん=さいたま市浦和区で

 山森さんが声を上げたきっかけは、韓国の姉妹校の男子生徒の言葉だった。交流授業で、集団的自衛権について「日本が武力を高めることはアジアの国々の脅威になる」と話す彼に、自分が意見を持ち合わせていないことに気づいた。新聞や本を読み、憲法集会の運営にも携わり、考えた。
 「国会の多数決で決まる民主主義ってなんだろう。実際、戦闘地域に行くのは私たち国民なのに…」
 通っていた自由の森学園高校(埼玉県飯能市)は自主性を重んじる校風で、制服やテストもなかった。行事はやるか、やらないか―から話し合う。教室の席の配置も、黒板に向けて机を並べるか、先生を囲むようにコの字形にするか議論した。「大変だけど、たとえ結果がいまいちでも、皆の納得感が違う。必要な過程だと身に染みていた」
 その影響だろうか。放課後に同級生5人ほどでギターと横断幕を持ち、週1回はデモに通うのが習慣になった。「人ごとにしたくなかった。声を上げなきゃ、という気持ちが強かった」。だが与党は9月に採決を強行、法案は成立した。

◆「足元から社会を変えていきたい」

 その後も廃止を求めてデモに通ったが、無力感も募った。もっと地道に、普段から政治について話せる仲間を増やそう。女性や子どもの貧困など、身近な問題から目を背けていないだろうか―。大学進学後は、友人に声をかけて学習会を開いたり、平和資料館を巡るツアーを企画したりした。
 在学中に始めた、埼玉県内の障害者支援施設でのアルバイトが転機になった。言葉では意思疎通が難しい、重い障害がある40人ほどが暮らす。職員らが、入居者の表情や様子から、その人の気持ちをくみ取り、個人に合わせた表現活動などに取り組んでいた。
 振り返れば、国会前に通っていたころ感じたのは「日本では個人が大切にされない」ということだった。その正反対ともいえる施設職員の姿にひかれて、卒業後に就職。今は入居者の入浴や食事の介助、表現活動のサポートをする。「障害があっても一人一人を尊重する。自分の足元から、社会を変えていきたい。日々、実践です」と、はにかんだ。(奥野斐)
  ◇
 原発再稼働が間近に迫った2012年6月、首相官邸前は抗議する人の波で埋まった。あれから10年。社会はどう変わり、どこへ向かおうとしているのか。声を上げ始めた人の姿を通して見つめ直す。

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