命がけで国を捨てて38年…「大佐の息子」は料理人になった 元ベトナム難民・南雅和さん

2022年1月6日 06時00分
<壁越えて>⑤

ベトナムから船で脱出した当時を振り返るイエローバンブー店長の南雅和さん=東京都千代田区で

◆木造密航船に銃弾

 「ここにいては、だめ。新しいところで人生を切り開きなさい」
 祖父の言葉を胸に、南雅和さん(53)は密航船に乗り込んだ。このとき14歳。縦14メートル、横3メートルの木造船に、赤ちゃんも含めて105人が身を寄せ合っていた。生まれ育ったベトナム・ホーチミン中心部の川を下る。検問所からは、船に向けて銃弾が飛んだ。運良く、誰にも当たらなかった。
 海に出て3日。雨水を飲んでしのぎ、「もう死ぬしかないのか」とあきらめかけた4日目。遠くに船が見えた。沖縄水産高校の実習船だった。船内には定員近い約70人の実習生がいたが、船長の判断で全員救助された。
 「とにかくほっとした。生きていられる、って」
 父はベトナム戦争で敗れた「ベトナム共和国(南ベトナム)」の砲兵大佐。1975年のサイゴン(現ホーチミン)陥落後、夫婦で山奥の収容所に連行された。
 祖父母と暮らす「大佐の息子」は、どこへ行くにも公安の許可が必要だった。学校では、北ベトナム出身者とは別に授業を受けた。成績は上位。でも南出身である限り、将来は暗い。そこで祖父母が密航業者に話を付けた。
 「怖かったけど、他に道はなかった」
 フィリピン・マニラで実習船を下り、命を助けてくれた日本に行きたいと希望した。大村難民一時レセプションセンター(長崎県)に着いたのは、83年10月だった。

◆日本人に合う故郷の味を追求

 その後、都内の「国際救援センター」で、日本語をはじめ、電車の乗り方やごみ分別などの生活習慣も学んだ。難民救済に尽力した評論家の犬養道子さん(故人)の支援で大学を卒業。就職した電機設備会社では、タイやシンガポール、ベトナムで駐在員を務めた。その間に、滞在先で屋台料理を研究した。日本で料理店を開くために。
 「日本のベトナム料理屋では、ベトナムらしくない料理が出ていた。もっとおいしく、日本人の口に合うベトナム料理を、と」
 帰国した2003年から飲食店のアルバイトで料理や経営のノウハウを学び、11年に東京のビジネス街で店を開いた。昼時はしょっちゅう満員になる人気店になった。ただ、コロナ禍では売り上げが最大8割減まで落ち込み、まだ回復途上だ。
 いま最も力を入れているのが、神奈川県愛川町の寺院での週末ボランティア。ベトナム出身の僧や技能実習生らにベトナム料理を150人分振る舞う。実習生からは、低賃金や給与未払い、劣悪な労働環境などの実情が聞こえてくる。
 「政府はいまも外国人労働者を増やそうと躍起になっているように見える。でもその前に、実習生の問題を解決すべきでは」
 38年前、自分を受け入れてくれた日本。それなのに今は、外国人に対して冷淡な国のようにも、見えている。(望月衣塑子)

祖母に抱っこされる南雅和さん(右から3人目)。ベトナム共和国(南ベトナム)の軍人だった父の勤務地で兵士とともに撮影=1971年1月15日、南ベトナムで(本人提供)

みなみ・まさかず 1968年生まれ。東京都千代田区でベトナム料理店「イエローバンブー」を経営。ベトナム名はジャン・タイ・トゥアン・ビン。日本名は日本国籍の取得を機に、犬養道子さんが名付けた。南ベトナム出身の「南」に、平和な日本で生きてとの希望を込めて「雅和」としたという。


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