<いばらき温泉探訪>(5)磯原温泉(北茨城市) いで湯 雨情の小唄にも

2022年1月6日 07時23分

手入れが行き届いた「としまや月浜の湯」の玄関。向かいには野口雨情の生家があった=北茨城市で

 ザブーン−。
 太平洋に臨む露天風呂。注ぎ口からこぼれ出るお湯の音に、ダイナミックな潮騒が重なる。目隠しとなる植栽の向こう側には空と海原、松林が広がる。ゆったり湯船に身を浸すと、煮卵のようなにおいのお湯が、かすかに皮膚を刺激する。
 北茨城市の磯原温泉に三軒ある旅館の一つ、「としまや月浜の湯」。海沿いでは珍しい硫黄泉だ。泉温は十七度と高くはないが、硫黄とナトリウムの塩化物を豊富に含む。国道6号を挟んだ向かいには、郷土が生んだ国民的詩人・野口雨情(一八八二〜一九四五年)の生家が。実はこのとしまや、雨情とは深い関わりがある。
 雨情は代々回船問屋を営んだ名家に生まれた。一族の多くは実業界や政界で活躍したが、当人はさほど関心がなく、東京専門学校(現在の早稲田大)を中退後、北海道で新聞記者などとして活動。後に詩作に転じ、「七つの子」「赤い靴」「雨降りお月さん」など今に歌い継がれる多くの童謡を発表した。
 としまやの五代目社長渡辺悦夫さん(69)によると、渡辺さんの祖父・年之介(としのすけ)さんと雨情は同い年で幼なじみ。さらに年之介さんの兄・源四郎さんと雨情は、文学を通じて交遊があったという。「雨情はしばしば祖父らを訪ねて遊びに来たそうです」と渡辺さん。
 雨情が詠んだ「磯原小唄」に、こんな一節がある。「来れば来るほど温泉の 湯ではなけれど冷めやせぬ」。一九三一(昭和六)年、年之介さんが近くの池に白濁した泉水が湧き出しているのを発見。雨情に手紙で喜びを知らせた。雨情は後年、小唄に炭坑や海、川とともにこのいで湯を盛り込み、ふるさとの誇りとして愛した。
 近く創業百二十周年を迎えるとしまやは、はたごから業容を拡大し、企業向けの給食提供や結婚式場、ドライブインの経営などを手掛けてきたが、現在は旅館業が中心。「ご利用のお客さまには非日常性を味わっていただきたい」(渡辺さん)と、地魚料理と温泉、景観、そしておもてなしに力を入れる。
 これまでには大きな浮き沈みも経験した。特に転機となったのは二〇一一年三月の東日本大震災だ。大津波が塀を乗り越え、一階部分を直撃。厨房(ちゅうぼう)は泥に交じって鍋や皿が散乱し、玄関の近くには乗用車が乗り上げた。全国からボランティアが駆けつけて復旧を手助けし、震災から七カ月で営業再開にこぎ着けた。だが、東京電力福島第一原発事故の影響で、客足が戻るには時間がかかった。
 一昨年から昨年にかけては、新型コロナウイルス禍で臨時休館の憂き目にも遭った。それでも、渡辺さんは「起きたことを気にしていても仕方がない。信念を持って、したたかに乗り越えていかなくては」と未来を見据える。(出来田敬司)

<ご案内>磯原温泉 としまや月浜の湯

北茨城市磯原町磯原200−3
宿泊 1万8000円程度から
日帰り入浴はコロナ対策で休業中
電話 0293(43)1311

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