<あしたの島 沖縄復帰50年>(6)融合した魅力発信 横浜・鶴見沖縄タウン 本土唯一の角力大会や映画製作
2022年1月8日 07時16分
どのように始まったか、記録はない。ただ、二〇一九年七月に第七十五回大会が開かれた横浜市鶴見区の「鶴見・沖縄角力(すもう)大会」は、沖縄県外で唯一続く沖縄角力の大会だ。二〇、二一年は新型コロナウイルス禍で中止に。「今年こそ開きたい」と、主催する「横浜・鶴見沖縄県人会」の金城京一会長(72)は切望する。
金城さんの故郷は、今は沖縄本島と橋でつながる離島・古宇利(こうり)島。「昔は何の娯楽もないから、砂浜で角力を取った」。大学に進みたいと、親戚を頼り川崎市に来たのは、本土復帰二年前の一九七〇年。当時必要だった琉球列島米国民政府発行の「日本渡航証明書」を今も保管する。進学は結局かなわず、鶴見で就職し、三十代から先輩に誘われて県人会に関わり始めた。
県人会は、戦前からあった出身地域別の集まりを母体に五三年に発足した。特徴的なのは「模合(もあい)」でのつながり。沖縄で今も続く習慣で、定期的に決まった金額を出し合い、資金が必要な人に貸す仕組み。鶴見で商売をしようという人を皆で助ける。県人会は生計を立てるにも重要だった。
「ちばりよー(頑張れ)」などと沖縄方言の声援も飛ぶ角力大会は、親睦を深める主要行事。内地で唯一続いているのが鶴見の地であることを、金城さんは「自分たちの誇り」と話す。
二〇二〇年、大会をテーマとする地域映画「だからよ〜鶴見」が公開された。手掛けた監督は、二十年前から沖縄を舞台にした演劇を作ってきた渡辺熱(あつし)さん(59)。コロナ禍直前に行った撮影では金城さんら県人会のメンバーらも出演し、地域ぐるみで盛り上がった。
ただ、ルーツがあっても誰もがコミュニティーに関わるわけではない。県人会常務理事の並里典仁(のりひと)さん(71)は五十歳を過ぎるまで距離を置いていた。両親が沖縄から出てきて、自身は鶴見で育った。「アイデンティティーで揺れていた」
関わり始めたのは、父親が亡くなってから。折り合い方に悩んできた沖縄との縁だったが、「切れてしまう気がした」。県人会に加わり、三線(さんしん)を習い始めたりするうち、自分の中の鶴見も沖縄も、「両方があるのはとても豊かなこと」と考えるようになった。
映画のプロデューサーの一人で、県人会青年部事務局長の下里優太さん(40)は那覇市で生まれ育ったが、地元が好きではなかった。大学進学で神奈川県内に来た後、父親が一九八六年に鶴見・仲通り商店街で始めた「おきなわ物産センター」に勤めるうち、「ようやくアイデンティティーを感じるようになった」。
下里さんは二〇一六年、高齢化の進む県人会の先細りを見越して青年部を立ち上げ、沖縄出身者以外も入れるようにした。今、メンバーは約六十人。「鶴見ウチナー祭」などのイベントを展開するうち、沖縄にルーツがなくても面白がって加入する人が増えてきた。「映画の効果もあり、県人会と青年部、地元商店街など点在していた活動が一つになってきた。鶴見と沖縄が融合した魅力を発信していきたい」(神谷円香)
<沖縄角力> 起源は定かではないが、沖縄各地で大会がある。鶴見では昭和初期に開かれていた記録が残り、かつては川崎や大阪でも大会が行われた。鶴見の大会は例年7月の最終日曜日、市立入船小学校で開かれる。出場は32人でトーナメント制。勝負は組み合った状態から始め、背中が地面につくと負け。3本勝負で決着をつける。
◇
沖縄の本土復帰から今年で五十年になる。米軍統治下にあった人々は、基地のない島と平和憲法のもとへの「復帰」を渇望したが、いまも「本土並み」の願いは実現していない。それでも、沖縄の声を地域でつなぎ、ともに未来を描こうとする人々がいる。京浜工業地帯がある川崎・横浜を中心に、沖縄にルーツをもつ人々とともに発展してきた神奈川の地から、わたしたちの「島」のあしたを考える。
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