<ひと物語>残留孤児らの声を残す 元短大講師・藤沼敏子さん

2022年1月10日 07時20分

「残留孤児や残留婦人は帰国後も国から十分な支援を受けてこなかった」と訴える藤沼さん=いずれも川越市で

 第二次大戦の終戦直後、旧満州(中国東北部)で死線をさまよった中国残留婦人や残留孤児たち。終戦前後、目の前で肉親を殺されたり、飢えや病気で親兄弟を亡くしたりして必死に生きてきた。川越市の元短大講師藤沼敏子さん(68)は、帰国後も言葉や生活苦などの問題を抱えてきた人たちの「慟哭(どうこく)の証言」を手弁当で取材し続け、ビデオと自費出版の本四冊にまとめてきた。
 特に終戦時、十三歳以上だった残留婦人は国から「自分の意思で残った」とみなされ、五十年近く帰国支援を受けられないという理不尽な扱いを受けた。
 藤沼さんは、県や自治体の日本語ボランティア養成講座のコーディネーターとして活動していた一九九二年ごろ、元中国残留婦人と知り合い、その壮絶な体験談に衝撃を受けた。「自分の力ではどうすることもできない不条理を生きざるを得ない人たちの存在を知った」。後世に伝えたいという思いが、国内だけでなく中国、台湾まで足を延ばし、膨大なインタビューを文字にするという過酷な作業を支えた。
 インタビューの動画は自身のホームページで公開してきた。「思い出すのもつらい体験を話してくれた人たちは高齢。活字にすれば読んでもらえる」と出版を思い立ち、二〇一九年、自費出版の第一弾「不条理を生き貫いて 34人の中国残留婦人たち」(津成書院)を上梓(じょうし)した。

「証言者一人一人を主人公として書きたかった」という本は1冊450〜740ページという大作になった

 第二弾となる「あの戦争さえなかったら 62人の中国残留孤児たち」(二〇年、上下巻)が昨年九月の第二十四回日本自費出版文化賞で、応募八百十二作品の中からトップの大賞に選ばれた。第三弾の「WW2(ローマ数字の2) 50人の奇跡の命」を出版した直後だった。藤沼さん自身、「疲れ果てた」というこれまでの苦労が報われた。
 一人一人の証言を方言も含め、ほぼ語り通りに記述し、名もない個人の自分史と歴史的出来事が織りなす時代の実相に迫った。記憶違いと思われる点や歴史的背景は注釈の形で補足する「口述による歴史資料」というスタイルにこだわった。二百人以上にインタビューし、三部作全四冊には百四十六人が登場する。
 孤児たちの過酷な体験を語り継ぐ一方で、「満蒙(まんもう)開拓」の名のもとに現地住民から生活の糧の土地を取り上げていた実態など、日本の加害行為に対する怒りが避難民に向けられた一面があることも、証言から浮かび上がらせ、資料で補足した。
 「二世、三世の問題も山積している。後を引き継いでくれるような意欲のある人を応援したい」と語る。(中里宏)
<ふじぬま・としこ> 1953年、栃木県岩舟町(現栃木市)生まれ。子育てをしながら大学院に進学し、社会福祉学修士を取得。上智社会福祉専門学校、植草短大などの講師も務めた。自身で立ち上げた「津成書院」の名前は敬愛していた叔母(故人)の「日本にたった一軒」という希少な名字を残すためにつけた。

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