60代からの田舎移住 その苦労と喜び、費用は? 都内ブティック経営から長野の古民家宿に挑戦の夫妻に聞いた「充実感」

2022年1月13日 07時31分

民宿と大瀧さん夫妻。2階には柿が干されていた

 田園回帰やコロナ禍で、移住への関心が高まっている。60代で東京での生活に区切りをつけ、長野県内に古民家を購入し、民宿を営んでいる夫妻がいる。以前は八王子市に住んでいた大瀧利久さん(70)と恵子さん(70)。縁もゆかりもない土地で、最初は戸惑いや不安があったが、5年が過ぎてすっかり地域に溶け込んでいる。民宿を訪ね、移住してよかったことや苦労を聞いた。 (桜井章夫)

東京都八王子市から長野県に移住した大瀧利久さん

 新宿から特急で二時間四十五分、長野県中央部の辰野町。「古民家民宿おおたき」は、町役場から車で十五分ほどの「小横川」と呼ばれる集落にある。山が近くまで迫り、集落内を流れる小横川川にはアマゴが泳ぐ。
 訪ねたとき、利久さんは稲わらでしめ縄作りの最中だった。近くの神社に飾るといい、毎年秋になると、地区の約四十世帯が順番で作る。今年は大瀧さん宅が当番。「わらを湿らせてから編む。作り方は近所の人に習った。これに紙垂(しで)を付ける」と奮闘していた。

妻の恵子さん

 夫妻は二〇一六年四月まで、府中市内でブティックを経営していた。同い年の二人が移住を決めたのは六十三歳のとき。利久さんが振り返る。
 「私たちは山歩きが好きで、地方を訪れるたびに『こんなところに住めたらいいな』と話していた。野菜は無農薬のものだけを買っていたので、田舎暮らしなら自分たちで作れると思った」
 恵子さんは「ブティックはお客さんが高齢化し、店じまいを考えていた。次に新しいことをするには、だんだん年齢的に難しくなるから」と話す。
 移住先が決まるまで一年半を要した。利久さんは長野県と愛知県を中心に、民宿経営ができそうな古民家を探し歩いた。空き家バンクのホームページで見つけた物件を買ったのは一六年一月。百四十年前に建てられた養蚕農家の家だった。
 家屋は四十三年間、人が住んでいなかった。利久さんが最初に訪れたときは家の周囲でサルが遊び、荒れ放題で住める状態ではなかった。半年かけて東京と辰野町を行き来し、時には泊まり込みで、大工と一緒にリフォームを行い、大きな柱と梁(はり)が目立つ古民家民宿へと再生した。
 「しっくいを塗ったり、廊下の板張りなどは自分でした。五年たっても修理する所が多い」と利久さん。それでも「家の修繕は飽きることがない」。移住してできた楽しみの一つだ。

寒い季節は薪(まき)ストーブを使っている。薪は利久さんが山から切り出している=いずれも長野県辰野町で

 移住にかかった費用は家の購入費や修繕費、民宿を始める準備費などで約千二百万円。町から四十五万円の補助が出た。
 民宿で提供する食材の一部は家の前の畑で育てたものだ。ナス、トマト、オクラ、ズッキーニなどで、肥料は鶏ふんと海藻由来のものしか使っていない。この日は大豆と金時豆を収穫していた。念願だった無農薬の野菜作りや宿泊客との会話を楽しむ日々だ。
 暮らしぶりは「充実している」と利久さん。「最初は見知らぬ土地で不安ばかりだった。でも、近所の人が親切に教えてくれたり、手助けしてくれたりした」。人と人との濃いつながりを新鮮に感じている。
 苦労することはないのだろうか。車の運転免許を持たない恵子さんにとって、一人のときに自転車で買い物に行くのがひと苦労だという。「坂道が多く、冬場は路面が凍る。でも、そんな不便さも慣れました」と笑顔で話していた。

◆移住してよかったこと(大瀧さん夫妻の場合)

・自然の中で自分たちのペースで生活できる
・無農薬での野菜作りが実践できるようになった
・人と人のつながりが濃いこと。互いに認め合い、さまざま共同作業は新鮮でおもしろい
・宿泊のお客さんと話をするのが楽しい
・忙しく手間がかかることもあるが、家の修繕などは飽きることがない

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