<社説>海部氏を悼む 安保転換させた護憲派

2022年1月15日 07時28分
 海部俊樹元首相が老衰のため九十一歳で死去した。クリーンなイメージと「初の昭和生まれの首相」という若さで人気を集めたが、政治生命をかけた政治改革が自民党内からの抵抗で挫折したことは無念であっただろう。
 「政治とカネ」の問題に積極的に取り組んだ。小選挙区制導入を柱とする政治改革関連法案を国会に提出したが、中選挙区制維持を求める勢力の反発を受けて廃案となり、退陣に追い込まれた。
 名古屋市の旧制東海中学時代から弁論部で活躍し、早稲田大では「雄弁会」に所属。爽やかな弁舌は「海部の前に海部なく、海部の後に海部なし」と称された。強い党内基盤がなくとも衆院で十六回連続当選した原動力の一つはその演説力だ。言葉を武器に相手を説得する議会人としてのありようには、低調な国会論戦で国民を失望させることの多い今の選良たちが学ぶべきことも多いであろう。
 日本の安全保障転換点の当事者にもなった。一九九〇年イラク軍がクウェートに侵攻し、湾岸戦争に発展すると、海部政権は多国籍軍に総額百三十億ドルの資金を提供した。停戦後には海上自衛隊の掃海艇をペルシャ湾に派遣することを決断。自著の中で「私は護憲派」という海部氏の時代に、自衛隊創設以来初の海外任務に道が開かれたことは歴史の皮肉に映る。
 中国は民主化運動を武力弾圧した八九年の天安門事件後、経済制裁を受けた。海部氏は「中国を孤立させるべきでない」と訴え、日本はいち早く制裁を解除した。民主化への思いは強かったが、中国を追い込むべきではないとの立場をとり、西側諸国の先陣を切って訪中。その後も中国首脳と親交を深めた=写真、九八年、北京で。
 海部氏は生前、本紙の取材に「政府が市民に銃を向けることなどあってはならない。だが、中国では西側諸国が常識としている人権意識がまだ育っていないことも分かっていた」と語っている。
 長い目で重要な隣国の健全な発展を望む穏健な中国観を持つ政治家であった。ただ、現在の中国指導部がその思いとは逆の方向に歩を進めているのが残念である。

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