「無心に一句」から 厭戦、生死、いのちを詠む 池田澄子さん(俳人)

2022年1月15日 12時59分
 俳人池田澄子さん(85)にとって、二〇二一年はとにかく忙しかった。第七句集『此処(ここ)』(朔(さく)出版、二〇年)で読売文学賞などを受賞。これまでの優れた功績を顕彰する現代俳句大賞に選ばれた。雑誌などに発表した句は約三百五十に上る。年末にはエッセー集『本当は逢(あ)いたし』(日経BP)を出した。多忙な一年を経て、新たな年にどんな思いを抱いているのだろう。
 「あの、間違いじゃないですかって言ったの」。東京・杉並の閑静な住宅街。冬日の差す庭に面した洋間で、池田さんが受賞の連絡を受けた時の驚きをユーモラスに語る。「あはははは」。たびたび上がる明るい笑い声に飾らない人柄がのぞく。
 じゃんけんで負けて蛍に生まれたの (『空の庭』)
 前ヘススメ前ヘススミテ還ラザル (『たましいの話』)
 初明り地球に人も寝て起きて (『拝復』)
 春寒の灯を消す思ってます思ってます (『思ってます』)
 私生きてる春キャベツ嵩張る (『此処』)
 戦争、3・11東日本大震災、あらゆるいのち…。こうしたものを見つめる池田さんの句は、平明でいて、その奥行きに思いを巡らせずにはいられない。現代俳句大賞の選考理由には「文語調・口語調を駆使した多彩な表現技法」「エスプリを内包した独特の俳句世界」などの評価が並ぶ。
 俳句と出会ったのは三十八歳の時。毎日新聞の記者だった夫の転勤で横浜に住んでいたころ、俳句雑誌で見た阿部完市さん(一九二八〜二〇〇九年)の難解な句に「こういうのも俳句なんだ」と衝撃を受けた。以来「毎日、俳句のことを考えてる」。
 敬愛する師・三橋敏雄さん(一九二〇〜二〇〇一年)には「今までにない新しいものでなければ意味がない」と教えを受けた。例えば、初期の代表作であるじゃんけんの句は最初、文語で書いた。「口語にしたら」と助言され、何回か書き直した後に「よし。これがイケスミ調」と言ってもらえた。
 句作の根底には、父を奪った戦争がある。軍医だった父は一九四四年八月、漢口陸軍病院で、流行していた腸チフスにかかり三十四歳で亡くなった。当時、池田さんは八歳。「生まれたら元気に生きて、というのが当たり前じゃないことが、体にしみちゃったんじゃないかと思う」
 <前ヘススメ>の句のような厭戦(えんせん)という主題は、戦中に弾圧を受けた新興俳句から出発し、戦争への怒りを詠み続けた師と重なる。さらに、戦争だけでなく、「いのちを脅かすものはみんな嫌だ」という池田さんの思いは、あらゆるいのちへのまなざしにつながっているのだろう。
 3・11以降の折々に、自らの句を交えてつづったエッセー六十編余りを収めた『本当は逢いたし』でも、戦争、生死、いのちに思いをはせる。自作句<本当は逢いたし拝復蝉(せみ)しぐれ>から取ったタイトルは、コロナ禍のいま、人々の心情そのものだ。最後の一編「父の顎」は、中国・武漢でコロナが広がり、急ごしらえの病舎で奔走する防護服の医師らの映像を目にした時、武漢の一部である漢口でいのちを落とした父の姿が重なったことを書いた。
 俳句を始めて四十五年以上。池田さんは「何をどう書くかを考えることが、俳句を書くということ。いまもどうやったらいいか、一句一句悩んで、じたばたしてる。でもね、こう書けばいいとわかったと思ってしまったら、もう終わりかなと思ってるの」と率直に語る。
 昨年の受賞機会は図らずも、これまであまり意識してこなかった年齢をあらためて見つめるきっかけにもなったという。これから俳句に向かう気持ちをこう打ち明ける。
 「知らないところを知りたい。それには、わからないところから、無心に一句を書くしかないかなって。せっかく年取ったんだから、年を取らないと詠めない句というのが詠めれば一番ありがたいよね。これから私、何書くんだろう、どういう書き方するんだろうって、興味津々だわ」(北爪三記)

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