21世紀の国語教育

2022年1月18日 07時48分
 新年度から高校の国語教育が大きく変わる。教材に実用的な文章が入り、生徒が主体的に学ぶアクティブラーニングも導入。時代に即した改革というが、さまざまな批判の声が上がる。今、国語を学ぶ意味とは何か。

<高校の国語教育> 2022年度から、科目が大幅に変わる。必修科目は現行の「国語総合」から「現代の国語」「言語文化」に、選択科目も現行の「国語表現」「現代文A」「同B」「古典A」「同B」から「論理国語」「文学国語」「国語表現」「古典探究」に変わる。実用性を強めたことや、「論理」と「文学」を分けたことで「文学軽視につながる」との批判や、アクティブラーニングの導入で発表や議論に時間が割かれ、「読解力不足になる」との指摘がある。

◆多様な読み方 経験を 作家・中沢けいさん

中沢けいさん

 文学は、無意識のうちに社会に広がっています。例えば、新聞には必ず、短歌や俳句の投稿欄があって、投稿する人と選者の間の双方向のやりとりが、多くの人の喜びや助けになっています。それだけを見ても、文学が社会の基盤を形成していることが分かります。
 日本に限らず、儒教の影響が強い東アジアの国々では、詩歌が祈りの一つになっています。禅宗の僧侶は、みな漢詩を作りました。ある出来事を詩や歌の形に収め、鑑賞できるようにする。それは祈りの形式を踏まえています。日本には『万葉集』があり、中国には『詩経』があります。詩にうたわれたことは純粋な人間の情だと『論語』にも書かれています。
 そんな詩歌を日本社会が忘れることはあり得ません。もし、教科書から排除されたとしても、自分で勉強する人が絶えることはないでしょう。小説や戯曲も同じです。読むなと言われると読みたくなる。そういう人は必ずいますから。
 日本語の勉強は、国語だけでしているわけではありません。社会科も理科も数学も日本語を使って勉強しています。論理的な日本語を学ばせたいなら、有名な演説を社会科で学ぶとか、各教科の中に配置すれば、読む力は自然に付きます。
 文学は、役に立たないものの代表格と言われてきました。昔なら「無用の用」と言い返せば済んだのですが、今は通用しません。そこで私は、こう説明しています。文学とは、誰でも好きに使える広場をつくる学問です。哲学や史学、文学といった文系の基礎学は、人間の自由な精神活動の領域を築き上げる学問なんです。
 国語の授業の目的は、エビフライのレシピを覚えることではなく、食べてみることです。その方が楽しいじゃないですか。揚げたてのエビフライを、ソースで食べるか、タルタルソースか、それとも塩か。味が違いますよね。言葉の豊かさ、面白さを味わうのが国語です。
 食べ方に好みがあるように、文学の楽しみ方も人によって違います。さまざまな味わい方があります。でも、家で一人で本を読んでいても、そこに気付きません。だから、学校が大事なんです。教室は、いろいろな人が集まって、いろいろな読み方を経験する共同作業の場所だと私は考えています。
 (聞き手・越智俊至)

<なかざわ・けい> 1959年、神奈川県生まれ。78年、「海を感じる時」で群像新人文学賞を受賞し、作家デビュー。85年に『水平線上にて』で野間文芸新人賞。2005年から法政大教授。

◆思考広げる授業必要 文部科学省視学官・大滝一登さん

大滝一登さん

 急速に社会が変化し、予測困難な時代。教育の在り方も問われています。今回の学習指導要領は社会に開かれた教育課程という考え方に立ちました。どのような資質・能力を育てるかがコンセプト。国語でも、教材を教えて済みではなく、それによって何ができるようになるかをより明確にしています。
 キーワードは「主体的・対話的で深い学び」の視点からの授業改善。ただ読むのではなく、何のために読むのか、将来何に生かせるのかを教師と生徒が共有。自分の考えをしっかり表現するとともに他者の考えを理解し、思考を豊かに広げる授業が必要です。適切なコミュニケーションの力が求められている今、「話すこと・聞くこと」「書くこと」の資質・能力が重要だからです。
 こういう話をすると「今回の指導要領は実用重視で教養軽視だ」といった批判を受けることもありますが、本当にそうでしょうか。固定的な解釈を伝える授業では、逆に文学本来の魅力が共有されていないのでは。
 また、授業を拝見すると、テーマ学習のようで総合的な探究の時間などの授業かのように感じるときがあります。作品のテーマを考えさせるのはいいのですが、まず文章を読み込んで、筆者の論理や言葉の吟味の上で思考に向かうべきだと思います。今回の指導要領が、高校国語の目標に「言葉による見方・考え方」を働かせることを掲げたように、「言葉」に着目していることを理解いただきたいです。
 高校国語の科目再編について「文学軽視」との批判があり、昨年も必履修科目「現代の国語」の教科書をめぐって議論になりましたが、文学軽視との指摘はあたりません。「現代の国語」は論理的な文章と実用的な文章が中心ですが、同じく必履修科目「言語文化」は小説や古典などの文学的な文章が中心。選択科目には、より深く文学作品を学ぶ「文学国語」「古典探究」もあります。高校国語に求められる資質・能力の育成を目指す中で、必要な要素を分けて構造化したのが今回の科目構成なのです。
 今回の指導要領は、今までの先生方の取り組みを否定するものではありません。不易と流行。変えてはいけないものは間違いなくある。今回、いろんな方が国語について議論してくださった。これこそ「社会に開かれた」教育だと思っています。
 (聞き手・大森雅弥)

<おおたき・かずのり> 1964年、千葉県生まれ。高校教諭、岡山県の指導主事、大学教員などを経て現職。著書に『高校国語 新学習指導要領をふまえた授業づくり』(明治書院)など。

◆読解力 人生を豊かに 名古屋外国語大教授・村上慎一さん

村上慎一さん

 教育とは、できないことをできるようにする、分からないことを分かるようにする学びを支援することだと考えています。学びの方法として、今回の学習指導要領が掲げる「主体的・対話的で深い学び」、アクティブラーニングには賛成です。導入は当たり前だと思います。
 私自身、中学・高校で国語を教えてきて、アクティブラーニングでない授業は一つもありませんでした。例えば、評論文の授業では、段落要約ののち縮約したら、教科書を閉じて、「この文のテーマは何か」「筆者の意見の根拠は何か」など問いかけ、話し合わせ発表させます。
 多くの国語の授業では、教師が自分の読解を披露して、「隙間」を作り、それを生徒に埋めさせる形式になっている。でも、読むのは生徒。教師の読みを後追いさせてもしょうがない。
 一方で、どうしたらよいか分からない教師もいます。生徒に意見を言わせるだけ言わせて、結びの言葉が「いろんな意見が出てよかったです」。これでは学びにならない。教師は生徒の意見を受けて「深い学び」に導く努力をしないといけません。
 指導要領にも根本的な問題があります。実用的な文章を教えることになった結果、文学作品などの教材の時間数が圧縮された。さらに、最後の時間に生徒が自分の考えを発表して交流するという授業が推奨されている。しっかりした読解ができていない生徒同士が話し合って、深い学びが達成できるでしょうか。現場の混乱は大きいです。
 国語の教師の一番の役目は、生徒が自分で文章を読解できるようにすること。それは今、注目されているクリティカルシンキング(批判的思考)の力を付けることと結びついています。
 読解力をめぐっての最近の在り方では「生活」に役立つことに重点が置かれ始めています。しかし、読解力は本来、想像力や思考力の鍛錬によって獲得できるもの。この力を伸ばしていくことは豊かな「人生」に深く関わります。もちろん、「人生」と「生活」はどちらも大切ですが、同列には考えられない。
 言語は単にコミュニケーションの道具ではなく、世界を認識する手だてです。中でも文学は人間関係や人間の心性を考えさせ、人生を考える最高の教材になりえます。国語という教科は何よりも、より良い「人生」のためにあるべきだと考えます。
 (聞き手・大森雅弥)

<むらかみ・しんいち> 1960年、愛知県生まれ。専門は国語教育、教育相談。長年、同県内の中学や高校で国語を教える。著書に『なぜ国語を学ぶのか』『読解力を身につける』など。


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