<わけあり記者がいく>1カ月の入院 「働く」こそ最大のリハビリ

2022年1月19日 10時17分

1カ月の入院を経て「偉大な飛躍」を果たした三浦記者=名古屋市内で

 その時、わが胸中には映画「2001年宇宙の旅」のテーマ曲「ツァラトゥストラはかく語りき」が響いていた。打ち鳴らされるティンパニーのリズムが口を突いて出る。
 昨年末の某日、「わけあり記者」こと私、三浦耕喜(51)は、ゆっくりと左足を上げていた。自宅の玄関の敷居をまたごうと、大股で足を運ぶ。やがて、足の裏が、わが家の入り口を踏み締めた。
 胸に湧いてきたのは、人類で初めて月面に降り立った宇宙飛行士の言葉。「ワン スモール ステップ フォー ア マン…」で始まる人類史的な名言である。私はこんな意味に逆転させて口ずさんだ。「人類にとっては小さな一歩だが、一人の人間たる私には偉大な飛躍だ」
 わが家の敷居をまたぐのは一カ月ぶりだ。緊急入院として二週間の予定だったのに、倍に延びた末の「帰還」。私にとっては人生初の一大事、「偉大な飛躍」であったのは確かだ。
 「最近、三浦記者の署名記事が載っていないが…」とお気づきになった読者も少なからずいらっしゃったようだ。お手紙も頂戴した。ご心配いただいたこと、感謝と御礼を申し上げたい。
 入院した理由は、いよいよパーキンソン病の治療薬が思うように効かなくなったためだ。服薬開始から約五年。一般的には、最初の数年は「ハネムーン期間」と呼ばれるほど薬が効くらしい。ただ、個人差も大きく、同じ薬の処方で十年、二十年と、つつがなくお過ごしの人もいる。
 私も当初、効き目の早さにほれぼれしたものだが、そんな喜びはつかの間。「これがあれば、大丈夫だ」という確信は徐々に揺らぎ、砂のように私の指の隙間をこぼれ落ちていった。
 良くない積み重ねが、良くない結果をもたらすのは当然だ。私の場合は酒だった。服薬治療が始まってからも、夜の酒宴に積極的に参加していた。私のことを案じる先輩には、こう言った。「確かに制限されています。人が十杯飲むところを、大変悔しいことではありますが、三浦は八杯に抑えねばなりません」と。
 「ほとんど変わらんな」と笑い合うのが、当時の私の一芸だった。だが、アルコールが薬の作用に影響する場合もある。禁酒に越したことはない。
 この責任は、私に酒飲みの血を分け与えた父に求めたいところだが、父は既に鬼籍に入った。もはや、責は問えない。となれば、責任者は本人である三浦耕喜ということになる。
 幸い今のところ、一カ月断酒した効果が続いている。入院中は三度の病院食以外、飲食できなかった。最初はきつかったが、今は酒が飲みたいとも思わない。
 しかも私は今、つえを突きながらも、自分の足で立って歩いている。入院前は通勤の行きも帰りも社内でも、移動はもっぱら車椅子だった。進行性の病でも、リハビリで体を動かせると知った。中でも一番のリハビリは「仕事」だろう。働くこと。働き続けることこそ、暮らしを支える基盤だからだ。
 「どうやって仕事に戻るか、闘病と仕事のバランスをどう取るか…」。自分の「偉大な足元」を見ながら思案していると、後ろから声がした。「早く入って。外は寒いんやから」。妻の言葉で現実に戻された。
 ◇ 
 新たな一歩を踏み出した今、改めて難病と向き合い、これからの生き方を探りたい。
<パーキンソン病> 脳内の神経伝達物質ドーパミンを作る細胞が壊れ、手足の震えや体のこわばりが起きる。多くが50代以上で発症し、国内の患者数は約16万人。厚生労働省の指定難病で、根治療法はなく、ドーパミンを補う服薬が治療の中心。服薬は長期にわたり、経済的負担も大きい。
<みうら・こうき> 1970年、岐阜県生まれ。92年、中日新聞社入社。政治部、ベルリン特派員などを経て現在、編集委員。42歳のとき過労で休職し、その後、両親が要介護に。自らもパーキンソン病を発病した。事情を抱えながら働く「わけあり人材」を自称。

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