原発への怒り、不安…でも帰りたかった双葉町 事故から11年を前に70歳男性が念願の帰宅

2022年1月20日 20時03分

原発事故後に動物に荒らされた自宅裏の競輪練習場で、「ようやく帰ってきたという気持ちと、先行きの不安が入り交じる」と話す谷津田陽一さん=福島県双葉町で

 原発事故から11年を前に双葉町で20日から、町民が寝泊まりできるようになった。「ようやく帰ってきた」。福島県南相馬市に避難する谷津田陽一さん(70)は自宅のソファで愛犬とくつろぎ、ほほを緩めた。

◆山、畑、プール…大切な思い出が残る町

 競輪選手だった谷津田さんは2年前に立ち入りが自由になってから、自宅を片付けてきた。原発事故後、家やその裏に建てた練習場は、イノシシにめちゃくちゃに荒らされた。庭は雑草や木で山のようになり、妻(54)と草木を刈った。
 谷津田さんは「ここで女房と暮らし好きなことができるスタートだという希望と、準備宿泊の予約人数があまりにも少なく、今後この町は発展や復興できるのかという不安、町をこんなふうにした原発事故への怒りと複雑な気持ちが入り交じっている」と語る。
 小学校卒業まで暮らした町に戻ったのは、選手時代の42歳の時。練習場では若手を育て、10人がプロになった。だが、東日本大震災と原発事故で一変。家族はばらばらになり、約10回も避難を繰り返した。
 二度と帰れないと覚悟して避難先に家を建てたが、5年前に避難指示解除の方針が示されると、望郷の思いが日に日に増した。「避難した先々で親切にしてもらったが、双葉には子どもや孫との思い出もある。山があって田畑が広がり、練習場やプールもある。やはり家に帰りたかった」

◆他より高い線量「子どもや孫に住もうと言えない」

建物が解体されて空き地が目立つ双葉町。防犯パトロールの車や消防車、パトカーなどが巡回していた

 自宅周辺の空間放射線量は毎時6~7マイクロシーベルトと汚染がひどかったが、除染で0.2~0.4マイクロシーベルトに。ただ隣接する山の近くはまだ毎時4~5マイクロシーベルトで、除染をし直してもらっている。「線量を下げると言っても、他より線量が高い。子どもや孫は一緒に住もうとは呼べない」と言い、黙った。
 3月には引っ越しを終える谷津田さんは願う。「避難指示が解除される時にどれだけの人が戻るか。復興産業拠点もできるが、仕事が生まれ、若い人も住める町になってほしい」(片山夏子)

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