<首都残景>(32)雲取山の絶景 都市の栄華を映す
2022年1月23日 06時55分
東京都の最高峰、雲取山(二〇一七メートル)は奥秩父山塊のほぼ東の端に位置している。金峰山(きんぷさん)、甲武信岳(こぶしがだけ)などの雄峰から続く山並みが、ここを境に沈み込み、関東平野が広がっていく。したがって雲取山頂からの眺め、特に巨大都市・東京の栄華を映す夜景は、ほかに例がない絶景といって過言ではない。
午前四時半。山小屋「雲取山荘」を出発して山頂を目指した。日の出一時間前の五時四十五分。東の空を望むとほんのりと赤みがかっている。気温は氷点下一五度。北風が強い。
都心に大雪を降らせて太平洋上に去った前線の雲が影絵のようだ。その雲を背景に隙間なく宝石をちりばめたような夜景が広がる。
左にライトアップされた東京スカイツリー。右に向かって赤い航空障害灯をともす高層ビル群が連なり、東京タワーも見える。その奥の黒い帯のような部分が東京湾。さらに奥に房総半島も見える。
撮影拠点となった「雲取山荘」は、一九二八年に秩父鉄道経営の武州雲取小屋として出発。以来九十四年間、登山者の憩いの場となってきた。二代目主人、新井信太郎さん(86)は秩父市で育ち、山好きが高じて二十歳で山荘の手伝いを始めた人だ。
「本当は岩登りが好きでね。北アルプスや谷川岳で何度も転落して死にそうになった。うちのおやじは、雲取山なら岩登りの場所がないからと預けることにしたらしいよ」
当時の小屋の主人は「鎌仙人」と異名をとった富田治三郎さん。富田さんが若くして病に倒れたこともあり、小屋の切り盛りや荷上げなど大車輪で働いた。六十四歳のときに大借金をして小屋の経営権を秩父鉄道から譲り受け、老朽化した建物も建て直し、自営の小屋とした。
忙しい山仕事の間、カメラはいっときも手放さなかった。コラムにも定評があり、本紙埼玉版で長期連載をしたこともある。これらをまとめた本は「雲取山に生きる」(実業之日本社)、「雲取山のてっぺんから」(けやき出版)など三冊に及ぶ。
正月も自宅に帰らない生活を五十年も続けたが、七十歳を区切りに山を下り、小屋の運営は長男の晃一さん(47)、次男の信典さん(43)ら子どもたちに任せた。現在は年に数回、荷上げのヘリに便乗して山小屋に行くのが楽しみだという。
「山頂からの景色を見たいなと、思うことが今もあります。気温、風向き、雲の量などいくつもの条件がそろって初めて見られる、あの山だからこその眺望があるんです」
文・坂本充孝、戸上航一/写真・戸上航一
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