世界王者のまま急逝した大場政夫さん 25日に50回忌 花形進さんが思いをはせる「永遠のチャンプ」

2022年1月24日 06時00分
 ボクシング世界フライ級王者のまま自動車事故で急逝した大場政夫。25日は、闘志にあふれ、今なおファンの心をつかむ「永遠のチャンプ」の「50回忌」の命日になる。大場と2度拳を交えたのが、元世界王者で花形ジム会長の花形進さん(75)。「あんなに負けん気の強いヤツはいない」と回想し、「もし生きていたら、一番いい相談相手になっただろうな」とライバルに思いをはせた。(森合正範)

◆「こいつ、気が強いな」

大場政夫と映ったパネルを手にする花形進さん。パネルはジムの会長室の一番目立つ場所に飾っている=横浜市内の花形ジムで

 冬にしては暖かい日だった。1973年1月25日。家でゴロゴロしていると、テレビからニュースが聞こえてきた。大場の事故死を伝えている。享年23歳だった。「えーっと思ってな。そりゃあ、もう驚いたよ」。2歳年下のライバルが突然いなくなった。信じられない…。喪失感が襲ってきた。
 1度目の対決は68年9月2日。日本ランクでは花形さんの方が上位で、大場は初の10回戦だった。「大場はとにかく負けん気が強かったな。一発いいのを当てたら必ず2、3発返してくる。このラウンド取ったなと思ったら、次の回はがんがん前に出てくるしな。『こいつ、気が強いな』。試合中にそう思ったのは65戦の中で大場だけだよ」
 一進一退の攻防はキャリアで勝る花形さんの判定勝ち。試合後、再戦を直感した。「帰りの車の中で応援に来た兄貴と話したんだ。『大場とはもう一回やるな』ってな」

◆日本ボクシング史初の「舌戦」

ジムに飾ってある大場政夫―花形進戦のポスターと写真=横浜市内の花形ジムで

 予感は的中する。世界王者となった大場は挑戦者に花形を指名した。日本人同士の世界タイトルマッチは沼田義明―小林弘戦に続く2例目。日本ボクシング史で初の「舌戦」を繰り広げた。「初めは盛り上げるためにやっていたと思うんだよ。それがだんだん『この野郎』とか『生意気なヤツだな』とかその気になって来ちゃってな」。記者会見では互いにそっぽを向いた。
 試合当日の72年3月4日。花形さんは風邪をひき、調整に失敗。当時は当日計量で、1回目は200グラムオーバーだった。それを伝え聞いた大場は「あいつ、何やってんだ!」と吐き捨てるように言ったという。花形さんはサウナに入り、体重を落とした。38度2分の熱があり、病院で点滴を打った。
 「もうね、外国人が相手なら試合を投げ出していたよ。5、6ラウンドやったら、もういいや、ってな」。だが、リング上で不思議な感覚に包まれた。「すごく動けたんだ。それはな、相手が大場だったからだよ」。闘志むき出しで倒しにくる大場。花形さんも応戦する。15ラウンドを闘い抜く好勝負は判定2―0、僅差で大場の勝利となった。

◆「もう一回やろう」、叶わなかった3戦目

 舌戦から一転、互いに認め合い、リング上で「ありがとう」と礼を交わした。これで1勝1敗。花形さんは続けて言った。「もう一回やろう」。決着戦の約束。だが、かなわなかった。大場は王者のまま早すぎる最期を迎えた。その後、花形さんは大場が巻いていたベルトを手にした。
 あれから月日が経ち、ふとした瞬間に大場のことを思い出す。「ボクシングで大切なのはスタミナと負けん気。大場はそれを持っていた。心が強いから常に攻めて、最後まで諦めない。だから逆転勝ちが多かったんだよな」
 やはり3度目の対決を実現させたかった。「決着つけたかったな。大場が元気ならジムを持ったと思う。今度は選手を育てる方でも対戦できたし、一番いい相談相手になっていただろうな。忘れられないよ、大場のことは」。天国のライバルを思い、しみじみ言った。

◆急逝23日前に伝説的な逆転KO

1973年1月2日、チャチャイ・チオノイ(右)を攻める大場政夫

 大場は亡くなる23日前、1973年1月2日に伝説的な試合をしている。5度目の防衛戦でチャチャイ・チオノイ(タイ)と闘い、初回にダウンを喫し、右足首をねんざした。絶体絶命の窮地から12回KO勝ちを収めた。
 テレビ観戦していた花形さんは「右のロングフックを浴びて、足をぐにゃっとひねって、倒れてな。足を引きずりながら闘って逆転した。ロープに詰めての連打はよく覚えている。大場ってヤツは本当にすごい根性だなと思った」と振り返った。

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