限界集落を桃源郷に 北茨城に移住「暮らしそのものが作品」 アーティスト・石渡さん夫妻 廃屋や荒地を再生

2022年1月24日 07時20分
 北茨城市の山あいの「限界集落」に移住し、廃屋や荒地の再生に取り組むアーティストがいる。「檻之汰鷲(おりのたわし)」のユニット名で活動する石渡のりおさん(47)と妻ちふみさん(45)だ。このほど日々の生活を1冊にまとめた。夫妻は「誰かと競争して勝ち取らなくても、身の回りの環境を利用して居場所をつくることができる」と静かに語る。(佐藤圭)

倉庫を再生した自宅で笑顔を見せる石渡のりおさん(右)とちふみさん=いずれも北茨城市で

 海沿いのJR大津港駅から西へ車で二十分ほど走ると、北茨城市関本町富士ケ丘楊枝方(ようじかた)に着く。里山に囲まれた二キロ四方の集落には、石渡さん夫妻ら十三世帯、二十四人が暮らす。檻之汰鷲として出版した「廃墟(はいきょ)と荒地の楽園」(ファミリーズ、税別二千四百円)には、限界集落で奮闘する様子が記録されている。
 のりおさんは二〇一七年四月、「芸術によるまちづくり」を掲げる同市の地域おこし協力隊員に採用され、夫婦で楊枝方に移住。のりおさんは、この地域を「桃源郷」と名付けた。「親戚でもいない限り、地元の人でも行かない場所だが、自然に抱かれながら昔も今も人間が暮らしている」と力説する。
 楊枝方で最初に挑んだのが、空き家になっていた築百五十年の古民家の改修だった。「家を直していると、近所の人たちが声をかけてくれる。地域に溶け込むことができた」とのりおさん。古民家は、市のギャラリー兼アトリエ「ARIGATEE(ありがてえ)」に一新された。のりおさんらは一八年から同所などを舞台に、「桃源郷芸術祭」を開催。三年目の二〇年一月には約九百人が訪れた。
 夫妻はもともと東京で会社勤めの傍ら、紙を貼り合わせたコラージュ作品などを発表していた。芸術活動に専念するきっかけは、一一年三月の東日本大震災。「東京で電力を使う責任と向き合うためには生活を根本から変えなければならない」と思い立ち、四十歳を前に夫婦そろって退職。スペインなど五カ国を約一年かけて旅行し、芸術家が現地に滞在しながら作品を制作する「アーティスト・イン・レジデンス」と呼ばれる施設で腕を磨いた。
 帰国後、低家賃の空き家を探していると、愛知県津島市の築八十年の長屋に出会った。活用方法を模索していた家主と意気投合し、改修する代わりに、家賃ゼロで住まわせてもらった。
 のりおさんは「最初は壁を壊しては途方に暮れていたが、日本の木造家屋は多少傷んでいても補修できる」と振り返る。その後、岐阜県中津川市などでも古民家の再生を手がけたが、知人から「住所不定のような暮らしをするよりはいいだろう」と勧められたのが、北茨城市の協力隊員への応募だった。

「ARIGATEE」に展示されている石渡さん夫妻の作品

 協力隊員の活動期間は最大三年。最終年度の一九年度、夫妻は北茨城への定住を決意する。しかし、適当な空き家が見つからず、大量の産業廃棄物などが放置されていた楊枝方の倉庫を再生することにした。
 「(のりおさんに)本当に住むのかと何度も聞いた。片付けは大変だったが、逆に愛着がわいた」とちふみさん。話を聞き付けた人たちからは、古くなったトタンや家具、薪風呂などが無償で提供された。
 のりおさんは現在、市から「集落支援員」を委嘱され、「ARIGATEE」を管理しているほか、楊枝方の有志らと一緒に「桃源郷づくり協議会」を運営。耕作放棄地や休耕田に花を植えたり、荒地を開墾したりしている。
 のりおさんは、一連の創作活動を「生活芸術」と称している。
 「北茨城という環境や人々の暮らしそのものが作品の題材になっている」
 ◇ 
 「廃墟と荒地の楽園」などの問い合わせは、のりおさん=電070(6514)5912=へ。

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