日本社会の同調圧力 「水を差す」自覚を 中島岳志

2022年2月1日 07時00分
 『中央公論』2月号に掲載された高畑鍬名「Tシャツの裾から見る時代の景色」が面白い。高畑が注目するのは、Tシャツの裾をズボンの中に入れるのか、外に出すのか。これには時代によって変化が見られるという。
 裾出しが若者たちの間で広まったのは一九九一年ごろ。その頃の大人たちは、裾を出すのはだらしないと見なし、否定的なまなざしを向けた。しかし、裾出しが定着していくと、メディアがこれを後追いし、ファッション雑誌がこぞって取り上げるようになる。すると、「とっぴ」と見なされたスタイルが「しゃれたもの」と認識され、やがて裾を出していないと恥ずかしいという感覚が生まれていった。
 テレビドラマの主人公やアニメのキャラクターも、みんな裾を出し始める。メディアによって、裾出しが同調圧力として機能し、人々がこれに従属し始めるのだ。
 しかし、流れは一転する。二〇一〇年代の後半になると、あえてダサいものを取り入れたファッションが流行し始め、Tシャツの裾とも連動する。若者たちは裾をインし始めたのだ。すると、今度はTシャツの裾を中に入れていないと恥ずかしいという感覚が生まれ、若者を中心に同調圧力が生まれてくる。母親がTシャツを中に入れている娘に「ダサくないの」と指摘すると、「お母さんは全然わかってない。Tシャツ出してると笑われるんだよ」と言われる。
 同調圧力とは何なのか。
 公開中のドキュメンタリー映画「香川1区」(監督・大島新)は、二一年衆議院選挙に焦点を当てる。取り上げるのは注目区とされた香川1区。自民党候補者は初代デジタル大臣を務めた平井卓也で、野党は立憲民主党から小川淳也、日本維新の会から町川順子が立候補した。
 作品は小川の選挙活動を中心に捉えながら、選挙における同調圧力の正体を追う。与党・自民党は、地方自治体の首長や議会、そして町内会や業界団体などと密着し、利益の付与と選挙での集票をセットにした運動を展開する。すると、本音では政権与党に対する批判や不満があっても、野党候補者を応援することがはばかられる空気が醸成される。
 カメラは自民党支持者を映し出そうとするが、表情は硬く、警戒心が強い。同調圧力の中にいる人間にとって、それに追随する姿を映されることは、自己への批判的まなざしを生み出すことになる。自分を客体化する視線を持つことによって、内省を迫られることになる。それは避けたいという複雑な表情が、映し出される。
 選挙の現場にカメラが入ることは、それ自体が同調圧力への批判的介入となる。人はどう映りたいと思い、何を映されたくないのか。
 映画のカメラが入ることを嫌ったのが、平井陣営だった。選挙戦の中、公道で平井が演説する姿を撮影しようとすると、陣営の人間(とおぼしき人物)からカメラを向けることを拒否され、時に妨害がなされる。業界団体へのテコ入れを強化し、同調圧力を作り出そうとする勢力は、そこに批判的に介在するカメラを恐れる。
 メディアは同調圧力に水を差す力にもなるが、同調圧力を強化する装置ともなる。この作用に敏感になることが、メディアの存在意義と深くかかわっている。
 兵士としての戦争体験を経て評論家になった山本七平は、著書『「空気」の研究』の中で、敗戦の可能性の高い戦争に突入した要因を「空気の支配」に見出した。権力・メディア・大衆の共犯関係によって特定の空気が支配的になると、それにあらがうことは難しい。いかに非合理的な決定がなされ、「それはおかしい」と思っても、口に出すことができなくなる。時代が暴走する背景には、「空気の支配」が存在する。
 ファッションから政治まで、私たちには次々と同調圧力が押し寄せる。「それは違う」と思ったとき、いかにして支配的空気に対して水を差すことができるのか。自分の行動に対して批判的なまなざしを向けることができるのか。
 私はこれまで通り、Tシャツの裾は出したままにしようと思う。 (なかじま・たけし=東京工業大教授)

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