角界入りする気はなかった御嶽海 内定していた県庁就職を撤回したきっかけ、2つの出会いとは

2022年1月26日 12時00分
 日本相撲協会は26日、東京都墨田区の両国国技館で、大相撲春場所の番付編成会議と臨時理事会を開き、初場所で3度目の優勝を果たした関脇御嶽海(29)=出羽海部屋=の大関昇進を正式に決めた。

大関昇進の伝達を受け、笑顔の御嶽海(中)=26日、東京都墨田区の出羽海部屋で(代表撮影)

 御嶽海が所属する出羽海部屋は明治中期に興され、横綱を9人輩出した名門。ただ大関誕生は1975年の三重ノ海以来途絶え、2010年には100年以上続いていた関取がゼロとなる時期も。新大関が救世主となり、名門の看板を背負う。

◆「遠藤さんがいけるなら俺も」

 「部屋を再興したい。力を貸してほしい」。東洋大時代の御嶽海に出羽海親方(元幕内小城ノ花)はこう声をかけて勧誘した。本人は角界入りするつもりはなかった。あきらめが早くあきっぽい性格。「厳しい世界だから」。アマチュア相撲の名門、和歌山県庁への就職を決め、内定も得た。
 だが、ある力士の存在に闘争心をくすぐられた。2学年上の遠藤。ざんばら髪で番付を駆け上がり、幕内で人気を得ていた。学生時代に対戦しても対等に渡り合え、自らも大学4年の12月に遠藤と同じ全日本選手権のタイトルを手にした。「遠藤さんがいけるなら俺も」。卒業間近の15年1月、悩んだ末に入門の意志を親方に伝えた。
 「出羽海部屋の上に必ず『名門』とつけられる。そのプレッシャーは本当にありました」と出羽海親方。それでいて、稽古は強制しない。自主性に任せる部屋の雰囲気を御嶽海は気に入った。威張り散らす理不尽な兄弟子もいなかった。

◆「名門再興」、無言で託した師匠

 「これぐらいでいいっていうのは自分が一番分かりますから。人が決めるもんじゃない」。稽古量は決して多くなく質を重視するのが御嶽海。「稽古嫌い」とも称されるが、自らの流儀は変えず、師匠もそれを見守り、口は出さなかった。
 御嶽海は「ほかの部屋だったらあり得ない」と親方に感謝する。「この部屋が合っていた。合っていると思ったからこの部屋に入ったんです」
 口上で述べた「自分の持ち味を生かす」とは、出羽海部屋に所属していた行司、第28代木村庄之助の言葉という。「絶対にそれを使いたい。同じ部屋なんで」と御嶽海。名門の再興を託した弟子の出世に、出羽海親方は「こういう日が来るとは夢にも思わなかった」と言葉を詰まらせ、感慨に浸った。(禰宜田功)

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