「至徳堂」の歴史、紙芝居で後世へ 江戸後期、木更津・銚子塚古墳にあった教育機関 郷土史愛好家ら公民館へ寄贈

2022年1月27日 07時35分

至徳堂を知る会が制作した子ども向けの紙芝居=木更津市高柳の岩根公民館で

 木更津市高柳の銚子塚古墳に立っていた江戸時代後期の教育機関である郷学「至徳堂」の歴史を子どもたちに伝えようと、郷土史愛好家でつくる「至徳堂を知る会」(鳥海善治会長)が紙芝居を制作し、二十六日に地元の岩根公民館に贈呈した。(山田雄一郎)
 制作した紙芝居は十一枚からなり、地元の水彩画家がカラフルに描いた。今後、公民館を通じ小学校や幼稚園などに提供される。

至徳堂が立っていた銚子塚古墳

 物語は古墳の近くで遊んでいた子どもの前に、至徳堂の名付け親である詩家の正木幽谷(一七六一〜一八四六年)が現れ「昔はここに寺子屋のようなものがあった」と語り、江戸時代にタイムスリップ。読み書きを学ぶ子どもたちが領主に「学校を建ててほしい」と陳情の手紙を出したことが実って至徳堂が完成したという内容だ。
 同会は二〇〇四年に結成。毎月一回、公民館に集まり、関連資料の収集や古文書の解読、遺跡の現地調査などを通じ至徳堂の歴史を掘り起こしてきた。当初はかるたの制作を検討したが、紙芝居の方が子どもたちに興味を持ってもらえそうだと判断した。木更津市のまちづくり活動支援事業に選ばれ、二〇年度に紙芝居を制作した。
 会員の吉川敏孝さん(78)は「至徳堂が南総の学問・文化に果たした役割は決して小さくない。この偉大な遺産を子どもたちに伝えたい」と語った。

山肌に立つ至徳堂の記念碑=いずれも木更津市高柳で

 至徳堂は一八一七(文化十四)年に地元の名望家たちが近隣子弟の教育のために開設。児童・若者が漢字や仮名の手習い、「論語」の素読などに励んだ。縦約七・二メートル、横約六・三メートルの小さな講館(教場)で、寺子屋より少しレベルの高いカリキュラムを組んでいたとされる。一八三〇年ごろには生徒数も減少したが、教育界を中心に優れた人材を輩出。初代県会議長、衆院議員を務めた重城保(一八三三〜一九一二年)もその一人として知られる。

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