在日ミャンマー人たちが絶対抗議を辞めない理由 風刺漫画、動画も駆使 国軍のクーデターから1年

2022年2月1日 06時00分
 ミャンマーの軍事クーデターから2月1日で1年。武力で反発を抑え込もうとする国軍に、国内だけでなく、日本でもさまざまな形で市民の抵抗が続く。2011年の民政移管後、ミャンマーの経済は成長し、人々は自由に意見を言えるようになり、海外に出る道も広がった。自由で夢を描ける社会を取り戻したいという強い思いが、ミャンマー人たちを突き動かしている。(北川成史)

風刺漫画を手に、反クーデターの3本指を掲げるナンミャケーカインさん=東京都品川区のミャンマー大使館前で

◆気持ち変遷、「本当の自由を」

 1月15日、ミャンマー独立74周年の式典が予定された東京都品川区の同国大使館前。100人超のミャンマー人とともに、京都精華大特任准教授のナンミャケーカインさん(49)がマイクを握り、ミャンマー語で次のように訴えた。
 「本当の『ルッライェー』まで式典を開くべきではない」。ルッライェーは「独立」と「自由」を意味する。表面上は独立国家でも、国軍支配下では自由がない、という批判を込めた。
 民主化運動が高揚した1988年に高校を卒業し、最大都市ヤンゴンにいた。同年9月に国軍がクーデターで実権を握った。国軍の暴力を耳にはしたが、見たことはなかった。治安の不安から「国が落ち着いて良かった」とすら思った。
 89年、大学教員だった父の仕事で日本に。立命館大などで学び、開発経済学の研究者になった。来日した国軍系の要人の通訳も務めた。民主化運動とは縁遠かったが、今回のクーデター後に変わった。

◆「母国の現状に関心を」

 昨年2月、ミャンマーで抗議デモに参加した20歳の女性が、背後から国軍に銃撃される映像をネット上で見た。女性は死亡した。他にも数々の悲惨な映像を見て許せなくなった。
 「以前は国軍がメディアを統制し、都合の良い情報を国民に信じ込ませていた」。だが、民政移管後の人々の意識は違う。「みんな安全な生活と夢のある未来を取り戻したい。だから抗議は収まらない」
 マンガ学部を持つ京都精華大の特長を生かし、昨年10月に同僚らと「自由と平和な表現活動を支援する団体WART」を設立し、クーデターを題材にした風刺漫画を募集、発表。幅広い世代に母国の現状を知ってほしいと考えている。

◆暴力の証拠収集、国連に提供

 東京都内の飲食店従業員ウィンチョーさん(56)は会員制交流サイト(SNS)で国軍の弾圧に関する情報を収集する。兵士らの暴力を撮った動画や写真を集め、服装や装備から部隊を割り出す。SNSに兵士の写真を投稿すると名前などの情報が寄せられる。

国軍に家族を焼き殺されたという市民らの画像を示しながら語るウィンチョーさん=東京都内で(一部画像処理)

 集めた動画や写真1万件以上を国連に提供する。人道に対する罪を裁く国際刑事裁判所(ICC)が国軍幹部らを訴追するのに生かしてもらうためだ。
 大学院生だった88年、民主化運動に参加。国軍の弾圧を受け、友人は銃撃で亡くなった。運動はつぶされ、ウィンチョーさんは日本に逃れた。「国軍の人間は何も罰を受けなかった。それが一番悔しい」
 国軍の横暴は現在につながっていると感じる。「88年で終わりにできれば、今のようにはならなかった。今回こそ彼らを罪に問い、最後のクーデターにしなくてはならない」

 独立以降のミャンマー ミャンマーは1948年に英国から独立。政党政治の混乱から62年、国軍のネウィン将軍がクーデターを実行し、一党独裁の社会主義政権を樹立した。88年の民主化運動でネウィン政権は倒れたが、9月に国軍が再びクーデターで実権を掌握。運動指導者のアウンサンスーチー氏を自宅軟禁にした。2011年に民政移管。16年にはスーチー氏率いる政権が発足したが、21年2月1日、国軍は前年の総選挙での不正を理由にクーデターを起こした。

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