「自分は病気を言い訳にしていた」 東京パラ・トライアスロンのガイドで銅メダルの椿浩平選手が所沢で講演

2022年2月3日 07時20分

「自分が本気でなりたいものを見つけて」と学生に語りかける椿浩平選手=所沢市で

 昨夏の東京パラリンピックのトライアスロン男子視覚障害のクラスで米岡聡選手=三井住友海上=のガイドを務め、ともに銅メダルを獲得した椿浩平選手(30)=同=が、所沢市の西武学園医学技術専門学校で「夢を持つこと〜その先に広がる多くの繋がり」と題して講演した。(中里宏)
 椿選手はトライアスロン選手として東京五輪を目指していた二〇一六年八月、脳腫瘍の手術で悪性の髄芽腫(ずいがしゅ)と判明。闘病生活から復帰後、「病気をする前の自分との違い」に悩み、一度は引退を決めたという。
 あるレース後、同じトライアスロン選手だった妻の喜志子さん(32)に引退の意向を告げたところ「私は最後のレースと思って見ていなかった。それでやめるのはずるい」と抗議され、思いとどまった。あらためて競技と向き合い「トライアスロンがとことん好きだと分かった。本当の意味での競技人生が始まった」。
 チームの監督から米岡選手のガイドを勧められた時は、パラアスリートについて「目が見えないとか、足がないとか、引き算で見ていた」。そんな認識は、ある合宿中のできごとを機に変わった。
 米岡選手と二人乗りバイク(自転車)の練習中、道に迷った。すると目が見えていないはずの米岡選手から「ここを左だよ」と言われ、「彼はどこをどう曲がったか、体で記憶していた。引き算じゃないんだ」と気づいた。そして「自分は病気を言い訳にしていたことを痛感させられた」という。
 東京パラでの活躍を経て、今は自身の二四年パリ五輪出場を目指し「可能性がゼロにならない限り、やり切る」と宣言している。約五十人の学生に向けて「自分が本気でなりたいものを見つけてもらいたい。自分が好きなことなら絶対にやれる」と呼び掛けた。
 椿選手は入間市出身で、狭山市在住。喜志子さんがスポーツ栄養士を目指して同学園栄養士科に在籍していることから、今回の講演が実現した。

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