高輪築堤 消えゆく石垣

2022年2月5日 07時17分

高輪築堤が見つかった東京都港区の再開発用地では、発掘調査とともに超高層ビル建設に向けた工事が進む。【写真上】昨年六月には、出土した石垣が写真中央を細く筋状に横切るライン(★-★間)を確認できた 【写真下】今年一月の撮影では石垣のラインは見えない。用地全体に大型の建設機械が配置され、あちこちに凹凸ができている(いずれも本社ヘリから。写真左下の白い屋根はJR高輪ゲートウェイ駅)。

 一八七二(明治五)年の鉄道開業時、線路を敷くために東京湾の浅瀬に築かれた「高輪築堤(たかなわちくてい)」の解体を伴う調査は終盤に差しかかり、出土した約八百メートルのほとんどが姿を消した。一方で大正時代に築堤上に造られた高架橋の杭(くい)なども新たに見つかっている。

再開発用地を東西に横切る一般向けの仮設通路(写真右が田町方面)は、工事の進行とともに切り替えられる。4日には、これまで使われた写真右側の通路に代わり、曲がり角が目立つ写真中央の新通路に切り替わった。旧通路下の未調査の石垣を含め、この付近に残る計40メートル前後の遺構も、いずれ取り壊される。

 築堤は、JR高輪ゲートウェイ駅(港区)西側の再開発で二〇二〇年に見つかり、二一年五月から本格的な調査が続く。高輪の海岸から、東京湾へ舟が抜けられるように築堤を切る形で設けられた水路も出土。その水路にかけられた「第七橋梁(きょうりょう)」を含む計百二十メートルは、公開までの間、いったん埋め戻され、昨年九月に国史跡に指定された。

2020年11月の撮影時は露出していた第七橋梁

 現在、第七橋梁が埋まる場所の上には、作業員の詰め所が立っている。地下に影響がないよう配慮したという。第七橋梁をくぐった舟が荷物を下ろした海岸の石垣も今回の調査で出土しており、しばらくの間は同駅デッキから見られる。
 南北に延びる築堤の計約三十カ所に点在する形で、六角形の鉄筋コンクリート杭が何本も埋まっていた。大正時代から二〇一九年十一月に線路が切り替わるまで、山手線をまたぐ京浜東北線の高架橋を支えていたとみられている。

第七橋梁付近の現況。点線内の約八十メートルが国史跡に指定されたおおよその範囲で、橋梁や石垣は埋め戻され、建設作業員の詰め所が立っている。周辺の再開発後、同じく国史跡となった別区間の約四十メートルとともに公開される。

 築堤は現在のJR田町駅から品川駅付近まで、全体で二・七キロあった。港区教育委員会によると、調査中の八百メートルの区間では、築堤の断面の分析から、品川駅側から北へ向かって土を盛り、築堤を延ばしていったと考えられるという。
 解体予定ながら、いまも残る石垣は四十メートル前後。外された石の一部は、鉄道建設を推進した大隈重信の故郷・佐賀市で石垣に組み直して展示されるほか、他県からも提供を求める声があるという。今年はくしくも鉄道開業百五十年。港区教委は十月に区郷土歴史館で予定する鉄道展で、出土品を公開する準備を進める。

大正時代から京浜東北線の高架橋を支えていたとみられる杭

◆豆知識

<鉄道開業時の築堤> 国内で最初に建設された新橋−横浜間(29キロ)には高輪築堤のほか、横浜(現JR桜木町駅付近)にも1.4キロの築堤が造られた。いま、根岸線が走る同駅付近の地下に、遺構が眠っているかもしれない。
 文・梅野光春/写真・戸田泰雅、坂本亜由理
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