SL模型作りに半生かけて あだち蒸気機関車館 父の夢を継ぎ、息子が開館
2022年2月16日 07時07分
かつては日本中を走っていた蒸気機関車(SL)。今では限られた路線でしか目にする機会はないが、足立区にある「あだち蒸気機関車館」では、ほぼ完璧に再現された模型がずらりと並ぶ。SLの持つ重厚でノスタルジックな外観が精巧に再現されているだけではなく、石炭を燃やし、蒸気で走ることもできる。それは、一人の男性が半生をかけて作り上げたものだった。
漆黒の車体に、赤地に金色で書かれた「C63」のナンバープレート。国鉄が設計図を作りながらも、ディーゼル機関車の台頭で製造されなかった幻のSL「C63形蒸気機関車」の十分の一サイズ(全長一メートル八十五・四センチ、高さ三十九センチ、幅二十八センチ)の模型だ。ブレーキ弁や圧力計なども緻密に作られ、目に見えない内部も本物のSLと同じ構造。機関車にまたがって、小さな石炭を投入口に入れて蒸気を発生させ、運転もできる。
作ったのは、徳島市の納田(のうだ)正昭さん(昨年六月死去、享年九十五)だ。息子で機関車館館長の茂さん(65)は「九十二歳までSLの模型作りに励んでいた」と話す。
工業高校を卒業後、四国電力で技術者として働いていた正昭さんはもともと手先が器用だった。茂さんが物心つく前、突然、自宅倉庫に旋盤やドリルなどをそろえ、模型作りを始めた。
SLについては素人だったが、構造や部品、仕組みについて書かれた本を読み、独学で設計図を作製。茂さんが五歳の時、第一号となるイギリス製のSLの模型が完成した。
自宅前に専用の線路を敷き、人が座れる客車五台ほどを連結して走らせた。「父の機関車に乗るのが本当に楽しかった。近所の子どもたちにも人気だった」と茂さんは振り返る。
正昭さんはさらに模型作りに熱中。平日は仕事から帰って数時間、休みの日は一日中、倉庫にこもった。一台を完成させるのに数年はかかる地道な作業。茂さんは「本当に好きじゃないとできない。大したものだと思う」と舌を巻く。本物そっくりな模型は地元でも評判になり、市のイベントに引っ張りだこで、多くの子どもたちに愛された。
蒸気機関車館は、茂さんが二〇一三年に開いた。大学卒業後、上京し会社員として働いていた茂さんは「父が作った模型を多くの人に見てもらいたい」と五十五歳で早期退職。実家の倉庫に眠っていたSLの模型やバッテリーカーを運び込み、翌年に開館した。
徳島から訪れた正昭さんは「よくできているね」と口数は少なかったが、うれしそうに館内の写真を何枚も撮っていたという。「親孝行できたと思う」と茂さんは振り返る。
正昭さんは、その生涯でSLの模型二十台以上、バッテリーカーも合わせれば四十台もの作品を作った。機関車館では、うち九台の模型と四台のバッテリーカーを展示。蒸気で走る模型は今は走らせていないが、毎週のように近隣の保育園児らがバッテリーカーに乗りに来る。「夢中になって続けることの大切さを父の作品から感じてもらえれば」。茂さんはそう思いながら、無邪気にはしゃぐ子どもたちに目を細めている。
足立区辰沼2の1の10。日、水曜の午前九時半〜正午開館。無料。
文・西川正志/写真・稲岡悟
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