石原慎太郎の功績とは 価値創造なく、世相の波に乗り続け… 戦後日本の姿そのもの 中島岳志

2022年3月1日 07時00分
 石原慎太郎が亡くなった。さまざまな追悼記事やコメントが出されたが、問題はなかったのか。
 プチ鹿島は「元東京都知事・石原慎太郎氏が死去、新聞各紙はどう報じたか? 『石原節』という言葉に感じた“危うさ”とは」(文春オンライン、2月3日)の中で、新聞各紙が過去の問題発言を「石原節」と表現したことに疑問を呈する。石原は二〇〇〇年四月に陸上自衛隊練馬駐屯地で開催された「創隊記念式典」で、「三国人、外国人が非常に凶悪な犯罪を繰り返して」おり、自衛隊に「治安の維持も大きな目的の一つとして遂行していただきたい」と述べた。「三国人」という言葉は、敗戦直後の時期に、日本に住む朝鮮人や台湾人などを指す用語として流通したが、その中には侮蔑的な意識が込められていた。この言葉を犯罪の多発と結び付けて語ることに対して、当時大きな問題になったが、訃報当日の朝日新聞デジタルは、「三国人」発言に触れた記事の見出しに当初「石原節」と付けた。
 石原は、「他者に憎悪を公然と投げつける姿を確信的に見せた」が、これを「石原節」と報道することで、差別的な発言が許容されるという風潮を助長してはいまいか。プチ鹿島は「のんきに『石原節』と報道していてよいのだろうか」と迫っている。
 北丸雄二は「石原慎太郎の故意の『暴言』に思う──男性主義で肥大した『私』と権威」(論座、2月14日)の中で、石原の数々の問題発言を「確信犯としての故意の『暴言』」だったと指摘する。「そんなことを言うと『危ない』『まずい』とされることを敢(あ)えて言って見せ、どこが危ないのか、何がまずいのかと反語として挑発し、既成概念(あるいは一般大衆の信じる常識、価値観)に『果敢に挑戦』という評価を得ることを目的としていた」
 小説「太陽の季節」で芥川賞を受賞した若き石原は、『価値紊乱(びんらん)者の光栄』(一九五八年)という本を書いている。彼は、既成の価値に対する不信と嫌悪を表明し、それを掻(か)き乱すことに成功した自己の「若さ」を誇っている。そして、これからは「価値紊乱者」から「価値創造者」になって行かなければならないとしつつ、その新しい価値がいかなるものなのか「それがまだよくわからない」と述べている。
 石原は、価値の創造を模索し、紆余(うよ)曲折を経る中で、国家主義へと接近していった。彼はリアリティーと実存の獲得を目指して、政治の世界に飛び込んでいった。一九六八年に参議院選挙で当選すると、七二年には衆議院議員になり、環境庁長官や運輸大臣を歴任した。しかし、国会議員として十分な実績を残すことができず、八九年の自民党総裁選で敗れ、九五年には国会議員を辞職して首相への道を自ら閉ざした。
 九九年に東京都知事になると、さまざまなパフォーマンスを繰り返し、注目を集めた。藤生明は「『石原銀行』は政治的野心と『作家の商法』が招いた大人災だった」(論座、2月11日)の中で、「新銀行東京」の失敗プロセスを追及し、その原因を「自らの独創のアピールと、国家を動かす優秀な政治家であると誇示」しようとした石原の姿勢に見いだしている。
 「東京から日本を変える」「国がやらないから東京がやるんだ」と言ってきた石原は、二期目を目指す都知事選挙に際して「目玉がない」と焦った。そんな時、飛びついたのが、「新しい銀行」の創設だった。しかし、事業計画は甘く、開業後、赤字は瞬く間に膨れ上がった。結局、無担保融資の焦げ付きは、税金によって埋められることになり、新銀行東京は他行に統合された。
 冷泉彰彦は「石原慎太郎氏が残した3つの謎」(ニューズウィーク日本版、2月2日)の中で、「超一流の業績」がないにもかかわらず、「残した印象は不思議に鮮烈だった」ことに、石原の本質を見いだしている。そして、この「ミステリアスな面を検証することは、昭和末期から平成の日本の歴史を探る上で大切な作業になるのではないかと思う」と述べている。
 石原は生涯を通じて、「価値紊乱者」として振る舞い、さまざまな暴言を残した。大切な価値を創造することなく、世相の波に乗り続けた石原の姿は、戦後日本の姿そのものだったのかもしれない。私たちの立っている場所を見つめ直すためにも、石原の文学と政治を検証する必要がある。(なかじま・たけし=東京工業大教授)

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