<よみがえる明治のドレス・16>トレイン 輝き アゲイン 元閑院宮春仁王妃直子の大礼服 廃棄寸前…匠の技で復元

2022年2月25日 07時07分

元閑院宮春仁王妃直子が着用していた大礼服トレイン=千代田区の大妻女子大博物館で

 明治期の大礼服(マント・ド・クール)の特徴の一つである菊花文様をあしらった皇族妃の宮廷ドレスが残されていた。元閑院宮春仁王妃直子(1908〜1991年)が着用した大礼服のトレイン(引き裾)で、廃棄寸前から高度な復元技術で知られる「龍村美術織物」(京都市)の職人技でよみがえった。ドレスを所蔵する大妻女子大学博物館(千代田区)を訪ねた。

元閑院宮春仁王妃直子の大礼服トレインについて話す石井とめ子名誉教授=千代田区の大妻女子大博物館で

 「あの時にトレインだと気が付かなければ、廃棄処分されていたでしょう。龍村の匠(たくみ)の技で服飾遺品が二十一世紀に伝えられて本当に良かった」。同大名誉教授の石井とめ子さんは、感慨深げにこう振り返る。
 石井さんら同大関係者によると、このトレインが見つかったのは一九九八(平成十)年ごろ。

大妻学院(現在の大妻女子大)創立者の故大妻コタカさん。元閑院宮春仁王妃から大礼服トレインの寄贈を受けた(大妻女子大博物館提供)

 同大創立者大妻コタカさん(故人)の収蔵庫(旧本館内)の整理に立ち会った際、白い布に包まれたものがあった。「あれは何ですか」と石井さんが職員に尋ねると、「布団です」と言われ、中をのぞいてみると、それはトレインだった。「元閑院宮春仁王妃直子殿下より下賜」と記された添え書きがあり、下賜された年は「昭和四十三年」と記載されていたという。
 しかし、長年収蔵されたままだったことから、表地の刺しゅう入り天鵞絨(ビロード)地の損傷が著しく、縦の亀裂や布の欠落、生地の粉じん化などが見られた。このため、石井さんは学会の研修旅行で訪れた米国・ニューヨークのメトロポリタン美術館で保存修復を担当する日本人専門家に相談。皇室とゆかりの深い織物の復元なども手掛ける龍村美術織物を紹介され、二〇〇〇年二月から約三カ月かけて修復した。修復のポイントは、縦方向の裂け目状の破損部分。和紙による部分裏打ちやビロードの劣化進行を防ぐための平絹による表地の裏打ちと仕立て直しだった。

モチーフの菊花は9種類用い、流動感に富む昭憲皇太后の大礼服(文化学園服飾博物館蔵)

 石井さんは「トレインの損傷により結果的に素材の組成や内部構造を解明することができた。想像以上にレベルが高い縫製技術で、明治中期の洋装導入以来短期間に急速な技術向上が見られたことに感心した」と話す。
 トレインは大礼服とセットで着用される。長さは身分やドレスのスタイルによって異なり、最も長いのは日本では皇后のトレインだ。直子着用のトレインは、文化学園服飾博物館(渋谷区)蔵の明治天皇の后(きさき)、美子(はるこ)皇后(昭憲皇太后)のトレインより長さは七十一センチ、幅は百一センチ短い。菊花の文様や色の数も少ないが、デザインは美子皇后の菊花文様を踏まえ、菊の形状も七種類を数え変化を与えている。表地は濃蘇芳色(すおういろ)ビロード、裏地は白絹サテンで、四枚つなぎの木綿布を裏打ちするなど、重厚な仕立てとなっている。
 大礼服の製作年月日や製作者は、現存している一部を除き解明されていない。直子着用のトレインも断定する材料は乏しいが、直子が結婚したのが一九二五(大正十四)年であることから、石井さんは「結婚前に宮家で新調したか、新年拝賀の際にお作りになったことも考えられる」と分析。その上で、製作者像をこう推測する。
 「ドレスメーカーの最高技術は宮廷服の調製です。宮内省御用の大島万吉は、大礼服に付随するトレインを大量に受注して繁盛した。このトレインもこれらのメーカーの可能性がある」
 文・吉原康和/写真・由木直子
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