女性の描かれ方めぐる「炎上」はなぜ起きる? 社会学者・小宮友根さん、ネットで発信・ふくろさんに聞きました

2022年3月8日 18時00分
 広告やドラマなどでの女性の描かれ方をめぐって、ネットで批判が集まり、「炎上」する事例が後を絶たない。一方で、批判に対しては「表現の自由だ」と反論の声が上がる。いったい何が問題なのか。この問題に詳しい社会学者の小宮友根さんと、ネットでイラストを使った発信を続けるふくろさんに語ってもらった。(聞き手・出田阿生)

◆問題は「性差別的な表現」-小宮さん

 —最近も千葉県警が、美少女キャラクターを子ども向けの交通安全啓発に起用して、「性的で不適切だ」と批判されて動画を削除するなど、女性の描き方をめぐって論争が続きます。
 小宮 「性的な表現は場をわきまえて」と批判する人も、逆に「表現の自由を守れ」と擁護する人も、その表現が「エロ」かどうかの観点で議論しがちです。そうではなく、問題は「性差別的な表現」かどうか。その議論が深まらないことをもどかしく感じてきました。フェミニズムにおけるポルノ批判の要点は、わいせつかどうかではなく、その中で女性が差別的に扱われていることです。
 ふくろ ステレオタイプな描き方は性差別的な表現に限らず、よくあること。たとえば昔のハリウッド映画に服装や習慣が奇妙な「トンデモ日本人」が登場するように、欧米人には気にならなくても、違和感を覚える表現があります。また日本のメディアでも、「オタク男性」をメガネで長髪、清潔感がないなど偏ったイメージで描きがち。女性を性的に強調する描写も同じで、抑圧や偏見の対象になる当事者が違和感を覚えて声を上げている状況です。ただ、当事者じゃなくても共感してくれる人はいるし、自分は気にならないという当事者もいます。
 —女性の「性的」表現が「性差別」的になりうるポイントとは。
 小宮 ふくろさんのイラストと共に分析をしたことがあります。その中でフェミニスト美学の研究を参考にして五つの分類をしました。まず性的な部位(胸や尻など)を強調する。次に、理由なく肌を露出させる。それと関連して、メタファーを用いて性的な行為を連想させる技法もあります。また、女湯のぞきから性暴力まで、女性が侮辱や侵害と感じる性的接近をエロティックに描く。最後に、無防備なポーズ、戸惑いや恥じらいの表情で、見る側に女性を性的に利用できそうだと感じさせる。女性が自立性や活動性が低く受け身であるという理解を生みやすい表現です。

同じゲームのキャラクターでも、(右)の女性キャラは「理由のない露出」をしている(イラスト・ふくろ)

 ふくろ 絵の作者は、どんなわずかな点や線であっても意図して描き込み、そうした細部から全体の印象をつくっています。エロさが差別的になるかどうかは露出度ではなく、全体の文脈による。たとえば自分の好みで肌を見せる服を着た女の子が、自信満々で仁王立ちしていれば主体性の表現にもなる。「やめて」と恥じらうようなポーズを取れば性的対象として見たり触ったりしても拒絶しない女性、と受け身な印象を与えるかもしれない。私は女ですが、子どものときからそういう表現を浴び続けてきたので「女体=エロ」だと思い込み、半裸の女の子ばかり描いていました。大学生の頃には、「女なのに女を消費できてすごい」と悦に入っていました。見られる側から脱出できた気になっていたのかも。
 小宮 この社会で女性の身体は「鑑賞され、評価される存在」という意味を持たされている。特に男性から性的に見られ、序列をつけられています。評価する側に回るのは、女性の自分が主体となるための一つの手段になっているのかもしれないですね。
 ふくろ 美術史学者の若桑みどりさんは、著書「象徴としての女性像」で、家父長制社会の構造を維持するためにさまざまな女性イメージが数千年にわたって生み出され、それを男性だけでなく女性も消費することで性差別が内面化されてきたと指摘しています。強制性交が無罪になるとか、医大入試で女子受験生だけが落とされるとか、直球の女性差別のように分かりやすくないかもしれない。でも、女性の描き方も実際の差別を補強し、再生産するものです。
 —性的な表現に限らず、企業CMや自治体PR動画などが「炎上」しています。
 小宮 「性的ではないが性差別的」な「女性表象」にも当然ながら同じ問題があるからです。女性表象は、女性を表す表現全般のことですが、それは現実の女性をそのまま写し取るのではなく、社会的、文化的に「女性とはこういうものだ」と広く共有されている特徴を選び出して配置することで、受け手が分かりやすいようにつくられている。
 —どういうものでしょうか。
 小宮 たとえば、どんな体形や髪形や服装で、どれだけ家事育児をするのかといった、「女性はこうあるべきだ」という社会、文化的な規範が表象には反映されます。それらの規範は、日常生活で実際に女性を抑圧してもいる。たとえば「育児をするのはお母さん」というイメージを強く打ち出す広告は、それ自体が抑圧となりうる。なぜなら、女性にとって「育児」は単に子どもの世話ではないからです。今でも出産を機に仕事を辞める女性は多い。それはキャリアをあきらめる、経済力を失って貧困に陥るリスクが高まるといった、個人の人生や生存にかかわることとつながっています。女性が置かれた社会状況をどれだけ想像できるか。それが性差別的な表現に気づけるかどうかの境目になると思います。

左側の少女のイラストに性的な記号を取り入れて表現すると、右側の少女のような描写になる(イラスト・ふくろ)

◆企業・自治体で検証の姿勢をーふくろさん

 —今後どうしていったらいいでしょうか。
 ふくろ 何が性差別的なのかは個別に判断していくしかないと思う。企業や自治体の中で検証しようという姿勢があれば出てこなくなるのでは。でも、末端の女性が嫌だなと思っても、決定権を持つ層が気付かなければ止められない。いろいろな意見を言いやすい空気、反映される仕組みがあればいいと思います。
 小宮 性的な表現に反対しているのではなく、性差別を問題にしているのだと繰り返し言わなければならない。何が性差別なのかゼロか百かでは論じられない。だからこそ法規制ではなく、市民の議論が大事だし、それこそ表現の自由という価値が守ろうとしているもの。1975年に、女性が「私作る人」、男性が「僕食べる人」と言うインスタントラーメンのCMがあり、女性団体が抗議してから50年。最近ではディズニーやマーベルなどの巨大エンターテインメント企業が新しい女性や性的少数者の主人公を創作して人気を集めている。女性表象は現実そのものではないからこそ、差別的ではない特徴をつかみ出してつくることもできる。試行錯誤して新しい可能性を探っていけたらいいですね。

小宮友根(こみや・ともね)

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1977年、神奈川県生まれ。東北学院大学経済学部准教授(社会学)。著書に『実践の中のジェンダー』(新曜社)など。

ふくろ

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兵庫県生まれ宮崎県育ち。編集職を経て英日ゲーム翻訳者、字幕翻訳者。女性表象の問題を自作のイラスト解説でツイッターなどで発信している。


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