故郷だけを描き続けようと決めた理由 福島県南相馬市出身の坂内直美さん

2022年3月10日 06時00分

◆帰省中に被災した自分の使命

 津波に全てさらわれた海辺を見た。東日本大震災が起きた11年前、女子美術大相模原キャンパス(相模原市)に通っていた坂内直美さん(31)=東京都=は、あれから、遠く離れた故郷・福島県南相馬市を描き続けている。忘れないように。帰省中に被災した自分の使命だと思っている。

福島県南相馬市の海を描いた新作の前で思いを語る坂内直美さん=東京都杉並区で(平野皓士朗撮影)

 キャンバスに青が広がる。寄せる波は色を深くし、沖は朝焼けのオレンジを帯びる。坂内さんが生まれ育った地の風景を描く「故郷」シリーズの新作。2月中旬、教員として勤める女子美術大付属高校・中学(杉並区)の玄関先に展示されていた。地元の家族が撮った昨秋の海の写真をもとに「そのまま描いたら温かい雰囲気になりました」。
 震災直後は、違って見えた。
 2011年3月11日、大学2年生の春休みだった。帰省中の実家で突き上げる揺れに襲われ、母と祖母と近くの小学校へ避難した。外を見ると「空も海も真っ暗」。どろどろした津波ががれきと一緒に迫り、海から4キロほど離れた実家の手前で止まった。家も家族も無事だったが、「ちょっと海側だったら流されていたかもしれない」。市内では同級生を含む600人以上が犠牲になった。
 学校や他県の親類宅で1カ月間避難を続け、新学期に合わせて相模原市へ戻った。被害の大きかった海の近くへ足を運んだのは、夏休みに帰省した時だ。
 立っていた家々の基礎部分のほかは全て流されていた。家族で遊んだキャンプ場は木くずとがれきで埋まっていた。松原はなくなり、風の音だけが耳に残った。「日常が失われたことを実感した。悲しい気持ちでいっぱいになった」。同時に、目をそらしちゃいけないとも思った。

◆「これしかない」泣きながら筆を執り

 復興がままならない被災地を離れ、日常に戻っていたことに負い目があった。「これしかない」。大学に戻ってすぐ、自由課題のテーマに決めた。帰省のたびに波打つ海やひび割れた国道を見つめ、泣きながら筆を執った。当初はどんより映る海を、あえて優しく表現した。1年後には澄んだ青色に見えるようになった。描くことで前向きな気持ちになれていた。卒業までに300を超える作品を形にした。
 卒業制作は地元でも展示した。来場者から「優しい絵だね」「天国みたいだね」と声をかけられた。別の企画展では、学芸員から「記録になるよ」と背中を押された。「最初は自分が忘れないためだったけれど、被災した人たちが温かい気持ちになって、故郷を忘れないことにつながるかもしれない」。学生から教員に立場を変えながら、故郷だけを描いている。
 コロナ禍で2年ほど南相馬市には戻っていない。それでも、家族が撮った写真を頼りにキャンバスに向き合う。「離れていると、余計に記憶は薄れてしまう。引きずるのはつらいけど、忘れるのはもっと怖い」。一変した海辺を見た時、元の風景を思い出せなかった衝撃を今も覚えている。「これからも地元は変わっていくだろうけれど、自分がずっと残していく」(米田怜央)

おすすめ情報