「放射能じゃん」「ごめん。怖い」…大好きな福島への侮辱、怒り涙こらえた小学校の記憶

2022年3月12日 06時00分
連載「トンネルの先へ 少女と家族の軌跡」②

「大好きな高校の一番近くにある自然だから」と海辺を歩く少女。小学校時代に始まったいじめは、中学校でも続くことになる=新潟県内で

 いじめが始まったのは、少女が福島から新潟に避難した半年後。「おまえテレビに出てたな」。小学校2年の正月明け、男子児童に言われた。冬休み中に、父親らが避難者として出た番組に家族も映っていた。
 「放射能じゃん。お前汚れてるんだろ」「放射能ってうつるんでしょ。お母さんが言ってた」。言い返しても、止まらなかった。
 2011年夏に新潟に移り住んだ時は、すぐ友達ができ、外で思いっきり遊べるとうれしかった。だが、学校はこの日から恐怖の場所へと変わった。
 「菌」「気持ち悪い、こっちに来るな」「放射能」「消えろ」…。仲のよかった子も「ごめん。私も怖い」と離れていった。教師に訴えても、状況は変わらなかった。物がしょっちゅう無くなり、くすくす笑う声が聞こえた。休み時間も教室にいられず、トイレや階段の踊り場で泣いた。
 母親に「保健室でやすんだんだ」「福島って言われた」と漏らしたことがある。でも「どうしたの」と聞かれると口をつぐんだ。慣れない地で自分と妹を抱える母親に心配を掛けると思うと、言い出せなかった。
 小3の時、母親がいじめに気づいた。口元を切って帰宅したのを見て誰かに殴られたと感じ、母親が担任に対応を迫ると「やられる方にも責任がある」と言い返されてあぜんとしたという。「1度休んだら学校に行けなくなる」と、行きたくないと泣き叫ぶ自分を引っ張り、母親は幼い妹を背負って片道20分の道を毎日送り迎えしてくれた。

◆「何も知らないのに言うな!」と叫びたかった

爪にマニキュアを塗る少女。小学2年から始まった同級生からのいじめが続く中、親指の爪を血が出るほどかむようになり、母親に爪を保護するマニキュアを塗ってもらっていたという。4月からは専門学校でヘアメークを学ぶ=新潟県内で

 いじめは暴力にエスカレート。後ろから跳び蹴りされたり、背中や腰など外から見えない部分を殴られたりした。だが何よりもつらかったのは、大好きな福島を侮辱されることだった。
 「福島って汚いんでしょ」「きのうスーパーに行ったら福島の物があってさ。汚くて食えねぇ」。怒りで震え涙を必死でこらえた。思い出したのは福島の祖父母の作ったもぎたてのトマトやキュウリのみずみずしさ。「何も知らないのに言うな!」と叫びたかった。祖父母や友達のいる福島に帰りたかった。悔しさと悲しさで破裂しそうだった。
 避難から2年半、父親は新潟に転職するまで、福島との二重生活を送った。平日は残業、週末は片道160キロを車で往復し、疲れ切っていた。父親と離れるのが不安で、別れるたびに火がついたように泣いた。
 なぜ家族がばらばらなのか。やり場のない思いをぶつけようと、政府と東電に対しメモ帳につづったこともある。「今、お父さんと一緒に暮らせていません。福島を返してください」
 住む場所も仕事も変え必死に守ってくれる両親を困らせたくない。明るく振る舞おうとしたが、心から笑えなくなっていった。「中学を受験していじめから離れる」。その思いがかろうじて自分を支えていた。(片山夏子)
 ◇  ◇
 記者は20年11月から少女とメールでやりとりを始め、その3カ月後から実際に会って話を聞いた。1年を超える取材を基に、少女と家族の11年の軌跡を4回にわたって伝える。

前回までのあらすじ 福島第一原発事故後の2011年夏、少女は家族と福島県郡山市から新潟へ避難し、今もそこで暮らす。福島で撮った同級生とのクラス写真は、予想もしなかったつらい日々で何度も手にすることになった。


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