甚大な被害でも自制心を失わない被災者に「非常に感銘」 震災直後に救援に駆け付けた米国人のバートさん

2022年3月11日 11時54分
 【ワシントン=吉田通夫】東日本大震災から、11日で11年。米南部フロリダ州ウィンターパークに住むバート・ジョンソンさん(69)は震災の数日後、外国人らが次々と日本から逃げ出す中、支援活動のため日本に入った。甚大な被害の中でも自制心を失わない被災者に感銘を受けたといい、震災を振り返るたびに「揺るがない精神の力が大切だ」と感じている。

オンラインで東日本大震災後の救援活動を振り返るバート・ジョンソンさん

 キリスト教の宣教プログラムで1997年に来日して以来、妻ともども日本が気に入り、毎年来日するようになっていたというバートさん。「あの日は朝早く、ジムのルームランナーで走りながらテレビをつけたんだ」。すると、信じられない光景が飛び込んできた。津波で何もかもが流されていく、あの光景。「すぐにジムを出て、日本の友人に電話したよ」
 電話口のダン・アイバーソンさんは、千葉県の教会勤め。現地の米国人らで被災地への支援チームを編成しようとしていた。すぐに参加を決め、3、4日後には日本行きの飛行機に飛び乗った。すでに福島第一原発が危機的状況に陥っていたので、ガイガーカウンター7基を用意し、がらがらの機内で準備した。東京から出発する便は、国外に逃げる人々で満席だった。

2011年3月25日、被災地で住宅の補修を手伝う支援チームのメンバーたち=ドン・エランドさん撮影(バート・ジョンソンさん提供)

 支援チームが用意したワゴン車3台に毛布や食料、燃料などを積み込み、まずは仙台市へ向かった。道は寸断されていたが、先遣隊が裏道を調べていた。現地の教会を拠点にしながら、原発近くの町や宮城県石巻市など、被災地に手分けして支援物資を配った。数日後にはほかの支援物資も届き始めたため、津波に襲われた家屋から泥を掃き出したり、破損した屋根に防水シートをかぶせるといった支援に切り替えたという。
 余震も放射性物質も怖かったが、それ以上に、何かをしてあげたかった。家を失い、愛する人を失った人の話を聞き、泣いた。電気もガスも通っていない泥まみれの家で、カセットこんろでお湯を沸かしてお茶を入れてくれた被災者に「恐ろしい混乱に立ち向かう日本人の精神力はすごい」と感じた。

2011年3月25日、津波の被害に遭った住宅地=ドン・エランドさん撮影(バート・ジョンソンさん提供)

 想像を絶する被害の大きさは「どんな言葉を使ったら良いのかも分からない」。それでも、冷静に努め、礼儀正しく、自制心を失わなかった被災者に「非常に感銘を受けた」と言う。
 「いくら最高のものを築き上げても、形あるものは一瞬にして破壊されることがある。だから、揺るぎない精神の力に希望を託さなければいけない」。今までもそう思ってきたが、震災を振り返るたび、思いを新たにする。
 滞在したのは10日ほど。「私がしたことは、ほんの少し。本当にすごいのは、ずっと復興を支援し続けている人たちだ」と語った。

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