息子の子育てに励む父の11年 亡き妻に「何とかやったぜ」と言えるように「一日一日を大切に」

2022年3月11日 11時37分

一人息子の歩夢君㊧の成長を見守る川辺伸晃さん。震災後は仕事と子育てを両立してきた

 宮城県多賀城市の会社員川辺伸晃さん(48)=三重県伊勢市出身=は、東日本大震災で妻の早苗さん=当時(37)=を亡くした。あの日から11年。当時2歳だった長男は中学生になった。成長を一緒に見守れない寂しさは消えないが、妻を突然失ってから心に刻むのは一日一日を大切に過ごすということだ。(横井武昭)
 「お外、行く?」。雪がちらつく今月上旬、自宅で窓の外を指さす長男歩夢あゆむさん(13)に、川辺さんは靴下のずれを直してあげながら「寒いよ」と優しく答えた。1人での子育てには「もう慣れたけど大変。たまには嫁さんに愚痴を聞いてほしい」と笑みを浮かべた。

川辺早苗さん

 20年ほど前に転勤で仙台に移り、早苗さんと知り合って結婚した。歩夢さんを授かった後も、仕事が忙しくて家事はほとんど任せきり。それでも、早苗さんは車で帰る音を聞くと窓から顔を出し、笑顔で「お帰り」と言ってくれた。

◆震災前を省みて、後悔しないために

 震災当日、大きな揺れの後で、仙台市内の会社に勤めていた早苗さんから「今から帰る」とメールがあった。歩夢さんがいる自宅で仕事中だった川辺さんは、津波警報が出ていると知り、「帰るな」と書き込んでメールの送信マークを押した。回線が混雑していたためか、届かなかった。
 川辺さんと歩夢さんは2階に逃れて無事だったが、早苗さんは何日も帰ってこなかった。遺体安置所に行き、服装や特徴を聞かれたが、何も答えられない自分に驚いた。「その日に何を着ていたのかも覚えていない。なんちゅう夫やったのか」。後日、早苗さんは流されたタクシーの中で見つかった。
 「やっと帰ってきてくれた」との思いとともに、川辺さんは「息子を育てなければ」と感じた。運動会や遠足の弁当を初めてつくると、「子育てを任せきりだったなあ」としみじみと思った。
 知的障害のある歩夢さんは昨年4月から、特別支援学校の中学生になった。最近は自分でできることが増え、部屋の電気を自分でつけるように。風呂で「出るか」と問い掛けると、「いこう」と応じてもくる。
 休日は歩夢さんが好きな電車に乗って出かける。運転席の後ろから、楽しそうに外を眺める歩夢さんの姿に幸せを感じる。震災前の自分を省みて、後悔しないためにも「普段から家族と向き合うのが大事」とあらためて思う。11日も、そんな日常を過ごすと決めている。
 歩夢さんは早苗さんに似てきた。「笑顔とか唐揚げが好きなところもそっくり」と川辺さんは目を細め、子育てに励むことを誓う。「いつか向こうで嫁さんに会ったとき『何とかやったぜ』と言えるようにね」

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