避難先で進学してもいじめは続いた…心は限界を超え自殺未遂 原発さえなければ福島にいられた

2022年3月13日 06時00分
連載「トンネルの先へ 少女と家族の軌跡」③

前回までのあらすじ 原発事故後に福島・郡山から新潟へ避難した少女は、小学校で「放射能がうつる」などといじめられたが、両親には言えなかった。「中学を受験していじめから離れる」。その思いがつらい日々を支えていた。

 福島からの避難者が集まった時、少女ら子どもたちは親たちに聞こえない場所で、いじめの話をした。
 「つらい。もう学校行きたくない」「死にたい」
 小学校低学年の子まで死を口にした。避難して悩んでない子はいないのではないかと感じた。「私も同じ」と伝えたものの、内容は話せなかった。自分の事だけで精いっぱいだったが、受け止められるのは年長の自分だけだと感じ、同世代や年下の子にかける言葉を必死で探した。心は限界を超え、破裂しそうだった。
 心が殺されても殺人にならないのか。原発事故さえなければ福島にいられたのに。全世界から原発が消えればいいと思った。

雪の残る海辺を歩く少女と家族。福島ではいつもそばに見えていた山々が近くになく、少女は自然に触れたくてよく海を見に来た=いずれも新潟県内で

 中高一貫の進学校に無事合格。誰にもおびえず過ごせる毎日は楽しかったが、それは短かった。仲間外れにされた同級生をかばった後、いじめの標的に。徹底的に無視され、いないかのように扱われた。逆にいじめの加害者だとうわさされ、人が信じられなくなった。教室での笑い声や話し声は、自分への嘲笑や悪口に聞こえた。
 1度だけ郡山の同級生に連絡した。いじめの相談をしたかったが「避難できてよかったじゃん」と言われ、言葉が続かなかった。
 「いつ、どうやって死のう」と考えるようになった。教室に行くと過呼吸になり、学校集会ではパニックになった。大半を保健室で過ごした。過呼吸で救急車で運ばれたのは7回。高校1年生の時、友だち2人と学校でありったけの薬を飲み、病院に搬送された。

◆母も職場で差別され、父も円形脱毛症に

家族の朝食は平日はばらばらだが、週末はこたつで少女と両親、妹が4人そろって食べる

 両親も苦しんでいた。救急車の中、母親は泣きながら、意識がもうろうとする少女の手を強く握った。「お願い。手を握り返して」。声は届いているようだが、手は動かなかった。最悪の事態がよぎってゾッとした。何があっても守ろうと避難してきたのに。自分の無力さに打ちのめされた。
 少女が中2の時、働き始めた職場で「この人、福島から来て危ないから近づかないで」と上司が客に言ったことがある。針のむしろだった。娘が受けてきた仕打ちはこれか。どんなに過酷だったかと思い知った。「ごめん」。心の中で娘の名を呼び、何度も謝った。
 「福島に帰りたい」と少女が泣くたびに、「できることなら帰してあげたい」と思った。娘の健康のためだとしても、死ぬまで罪悪感を持つだろうと感じた。目を覚ましたら、この子が笑って生きていけるようにもっと闘おうと決めた。

少女は学校に行けない時は布団に入り、つらい時に何度も救ってくれたアーティストの音楽を聴いて過ごしていた

 父親も「親の選択を娘が恨んでいたら…」と悩んでいた。円形脱毛症になり、じんましんが出た。娘が死のうと思ったことが、やりきれなかった。もし死んでしまったら、立ち直れない。娘の意識が戻った時、目を真っ赤にして言った。「ばかやろう。おまえは生きているだけでいいんだ」
 その後も少女は過呼吸をくり返し、学校で騒ぎを起こしたとして謹慎処分を受けた。高1の12月、進級が危ないと両親が呼び出された。学校の対応に「娘を守る姿勢がない」と感じた父親は、転校させることを決意した。(片山夏子)
 ◇  ◇
 記者は20年11月から少女とメールでやりとりを始め、その3カ月後から実際に会って話を聞いた。1年を超える取材を基に、少女と家族の11年の軌跡を4回にわたって伝える。

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