ザンギリ頭に近代パン、銀行業に「ビール井戸」も…横浜で碑巡り あちこちに発祥の地

2022年3月13日 07時09分
 江戸時代末期の開港とともに、外国文化の窓口となった横浜。中でも横浜港に面し、外国人居留地が栄えた中区周辺を歩くと、あちこちで「○○発祥の地」と称した記念碑に出くわす。よく知られた歴史もあれば、「それも横浜から?」と意外な記録も。文明開化の薫りを感じながら碑を巡ってみた。

横浜中華街で除幕された「西洋理髪発祥の地」のモニュメント

 先月中旬、横浜中華街の一角で新たな碑の除幕式があった。明治の初め、日本人が経営する初めての西洋理髪店が開業したとされる場所にお目見えしたのは「ザンギリ頭」をモチーフにしたモニュメント。この地から「たたいてみれば文明開化の音がする」といわれたザンギリ頭が広まった。
 横浜を象徴する山下公園に既に記念碑があるが、今回は店があったという場所をアピール。全国理容生活衛生同業組合連合会の大森利夫理事長は「ちょんまげ文化から西洋理髪へ、異国船に出入りして学んだ先人の第一号店がここ」と思いを込める。

モニュメントはザンギリ頭にちなんだデザイン=いずれも横浜市中区で

 鉄道創業に、日刊新聞やアイスクリーム、ラグビーに日本吹奏楽、はたまたクリーニング業発祥の地…。中区が作成した「中区の歴史を碑もとく絵地図」には、説明が添えられた碑だけで五十二カ所が並ぶ。地域の団体や業界団体が建てた碑もあり、一体いくつの「発祥」の碑があるのか、区も「把握できない」という。
 神奈川県庁の近くに二〇一六年に建てられたのは、「近代のパン発祥の地」の石碑。開港翌年の一八六〇年、フランス人から製法を習った内海兵吉が「焼きまんじゅう」のようなものを作り、居留地の外国人に売ったのが始まり。明治中期にはイギリス人の営むパン屋で修業した打木彦太郎が独立し、元町に現存する「ウチキパン」を構えた。
 中華街朝陽門近くのドレス姿の女性の像は「日本洋裁業発祥顕彰碑」。英国人女性のピアソンが一八六三年に洋裁店を開店したのを記念している。

五雲亭貞秀「横浜英商遊行」(国立国会図書館デジタルコレクションから)

 山下公園のそばには「銀行業務発祥の地」。国内で初めて銀行が開業したのは東京・日本橋だが、横浜にはその前から外国の銀行の支店があった。一八六六年、香港上海銀行が横浜支店を開設。碑は同行を傘下に置く外国の金融大手HSBCが建てた。「在日外国銀行百年史」によると、香港上海銀行の日本進出は外国銀行で六番目。ただ、他の銀行は現存しないため、HSBC広報は「現在も営業している日本で最も古い銀行として碑を建てた」という。
 横浜開港資料館の元調査研究員で、同館が二〇〇三年に発行した「横浜もののはじめ考(第三版)」を執筆した斎藤多喜夫さんは、横浜に碑が多い理由を「横浜は歴史に残すべき出来事が多いが、関東大震災や横浜大空襲で遺構がほとんど残っていない。それを補っているのでは」と考える。
 中には、建立後に新たな歴史的事実が判明するなどし、記述が正確でないものもあるという。斎藤さんは「碑は歴史に興味を持ってもらうことにもなるが、石碑は碑文を直すのが大変。間違いがそのまま広まってしまう」と注意を促す。
 一風変わった遺構は、市立北方小学校の敷地内に残る「ビール井戸」。日本のビール醸造はこの地の井戸水を使って始まり、キリンビールが誕生した。のぞくと底は見えづらかったが、今もなお水をたたえているという。
 文・神谷円香/写真・平野皓士朗
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