「やさしさを大切にして生きていこう」…避難少女の書いた「自分史」

2022年3月15日 03時00分
連載「トンネルの先へ 少女と家族の軌跡」番外編

少女は高校3年の夏に「自分史」の作文の中で小学2年から続いたいじめについて書き、10月にクラスで発表した

 東京電力福島第一原発事故後、福島県郡山市から新潟県へ家族とともに避難した少女は、2021年8月に高校の課題で8000字を超える「自分史」を書きました。一部を本人の許可を得て抜粋します(学校名は伏せ「この学校」とした以外は、原文のまま)。

少女が書いた「自分史」の作文は23ページに及んだ

   ◇    ◇
 ここまでの17年間、沢山たくさんうれしいことを知りました。沢山楽しいことを知りました。沢山悲しいことを知りました。沢山つらいことを知りました。沢山のことを知りました。それは1人だったら、決して知ることの出来なかったことばかりです。お母さんがいて、お父さんがいて、おじいちゃんが、おばあちゃんがいて、妹がいて、叔母さんがいて、いとこがいて、はとこがいて、友達がいて、先生がいて、その他にも沢山の人がいて。私の周りにこんなにたくさんの人がいたから、嬉しいこともつらいことも、沢山知ることができました。震災の傷は癒えません。いじめの傷も癒えません。トラウマに苦しむ日々が続いています。

少女がいじめについて書いた「自分史」の作文

 それでも、震災があったから新潟に来れた。いじめがあったから、前よりも人に優しくなれた。傷は沢山あるし、治るのにはかなりの時間がかかります。たくさんのものを失いました。故郷も、おいしい食べ物たちも、むこうでの友情も、コミュニティーも、たくさん失いました。つらいときは幾度となく福島に帰りたいと願いました。その言葉で何度も、「なんで新潟にいるのかわかるでしょう。あなたを守るためなんだから。」と言わせて、両親を泣かせました。でも、つらくても得たものも沢山あります。新潟に来なかったら、この学校にはきっと来なかった。いじめられなかったら、こんなに優しくなれなかった。避難したから、福島がどれほど大切か再確認できた。たくさんのことを教えてもらいました。たくさん傷つけられました。たくさん助けてもらいました。
 今でも死にたくなる時はあります。行動に移したくなる時もあります。このさきの人生もトラウマと付き合っていかなきゃいけないと考えると、もう命を絶ちたくなります。

少女と両親、妹の4人で重ねた手

 でも、助けてもらった記憶があるから、嬉しさや楽しさを知ってしまったから、もう少し生きてみようかな、とこの学校にきて、やっと考えられるようになりました。
 最近、両親が「一番大切な時期に避難させて、いじめも受けて、親を恨んでいるんじゃないか。」と友人に話したそうです。もちろんムカつくことも、郡山に帰りたいと思うことも何度もありましたが、避難するという選択をしてくれた両親には感謝しかありません。
 この先、つらいことは当然あると思います。しかし、ここまでのことを経験してきたからこそ、きっとこの先も乗り越えられると思います。これからも人との出会いを忘れず、やさしさを大切にして生きていこうと思います。

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