福島に帰りたいけど、やっと見つけた新しい故郷も好き 新潟に避難の少女、家族に言いたい「ありがとう」

2022年3月15日 03時00分
連載「トンネルの先へ 少女と家族の軌跡」④
 どう受け止められるんだろうー。2021年10月、少女は転校した新潟県内の高校の授業で、3年の同級生の前に立った。課題の「自分史」を発表すると決意してきたはずなのに、反応が怖かった。緊張して作文を持つ手が震えた。

 前回までのあらすじ 原発事故で福島・郡山から新潟へ避難した少女は、中高一貫校に進学後もいじめを受けた。避難は正しかったのか、と苦しむ両親。少女の自殺未遂を機に学校への不信が高まり、父親は転校させることを決めた。

 福島県郡山市で伸び伸びと育ったこと。原発事故後の避難。転校後始まったいじめ、保健室登校、自殺未遂…。当時の気持ちを率直に書いた。課題は4000字だったが書き切れず、つづった文字は8000字に上った。
 夢中で読み終え、顔をあげると、泣いている同級生たちがいた。「受け入れてくれたんだ」と救われる思いがした。「話してくれてありがとう」「生きていてくれてよかった」。同級生の感想を読みながら、涙が止まらなくなった。
 前の高校で自殺未遂をした後、避難者の友達が「私の学校に来ない?」と誘ってくれた。彼女もいじめを受け悩んでいたが、この高校で見違えるほど明るくなった。学校見学に行くと、校長先生が「悪いところもあるから」と正直に言うのを聞き、親子でほっとした。
 高校2年から転入。当初は気を張って全ての授業に出たが、7月には疲れて休みがちになった。
 「ちょっと頑張り過ぎたから休もうか。ご両親には俺から言っとく」。これまでのことを担任の男性教諭に打ち明けると、そう言われ驚いた。倒れた時に「迷惑かけてごめん」と謝ると、同級生たちが「何言っているの。迷惑かけてなんぼでしょう」と返してくれた。

◆背中を押すのは、助けてもらった記憶

 凍った心はゆっくり解けていったが、人混みや大声に恐怖を覚えた。避難訓練に参加したり、緊急地震速報を聞いたりするとパニックになった。いじめの記憶がよみがえり、震えが止まらなくなった。それでも学校にいられる時間が少しずつ長くなり、心から笑えるようになっていった。
 将来も考えられるようになった。いじめが激しくなった小5で、アーティスト「まふまふ」の曲に出合った。「ただ一つ一言だけください 生きていいよってさ」。そんな歌詞に何度も救われた。初めてライブで「こんなにも生きる力をくれるんだ」と圧倒された。人に生きる元気を与える仕事がしたい。そんな仕事をする人を手伝いたいと、ヘアメークに興味を持った。春からは専門学校に通う。
 今でも死にたくなる時がある。けれど両親や先生、友達に助けてもらった記憶が背中を押してくれる。福島に帰りたい。でもこの高校が故郷になり、新潟を好きにしてくれた。
 今だから分かる。両親がどんな思いで自分を守ろうとしてくれたのか。自分が親でも同じ選択をしたと思う。二度と私たち家族のような思いを誰もしないように、これからは私も体験を伝えていきたい。面と向かっては言えないけれど、両親の子に生まれてよかった。そしていつか言いたい。お父さん、お母さん、私を守ってくれてありがとう。
 記者と初めて会った昨年2月末、自分のことをいつか記事にしてほしいと告げた少女は、とびきりの笑顔で言った。「記事は私を守るために必死に闘ってくれた大好きな両親へのラブレターです」 (片山夏子)=おわり

4月から夢に向かって専門学校に進む少女。「大好きな高校の一番近くにある自然だから」と海を前にジャンプしてくれた=新潟県内で(由木直子撮影)

 ◇  ◇
 記者は20年11月から少女とメールでやりとりを始め、その3カ月後から実際に会って話を聞いた。1年を超える取材を基に、少女と家族の11年の軌跡を4回にわたって伝えた。

おすすめ情報

東日本大震災・福島原発事故の新着

記事一覧